この一件から、
今回の大会参加となった経緯は、
ブログ読者の方はご存知だろうが、
実際の会場では、私が出ているのを見て、
「え? なんでここにいるの?」
的な空気が充満したらしい(爆)。
大会エントリーは、私の師匠である須山コーチが支配人を務める
「テルサ・ドルフィンクラブ」から行ってもらったのである。
そのクラブの会員さんに対しては、
事前にレッスンを通じて告知させていただき、
私も面通しをさせていただき、
皆様の承諾を得て寄せてもらった・・・ということであった。
ただ、大先輩の坂本弘さんとリレーを組むという目的が果たせなかったのは、
残念極まりない。
是非来年は実現させたいと思う。
大会のあったプールは、2004年のインターハイ(台風一過だったらしい)の会場。
後に本学に入学して日本人初の49秒台を叩きだし、
今業界で話題騒然の人気DVDにも主演している佐藤久佳が、
この会場でこそっと200IMに出ていたという(笑)、
あのインターハイのあった場所である。
アテネ五輪の影に隠れていたため、ご存知の方は少ないかもしれないが・・・。
その横にはこんなレジャープールがあり、
夏休み最後の日曜でもあったため、賑わってた。
で、レジャープールと屋内の短水路は一般貸出だったため、
試合はメインプールのみ。
私自身も、恐らく千葉・天台のプールでの冬場の千葉県選手権以来、
クールダウンできない環境での試合となった(爆)。
しかも、現代のレース用水着を1日3回も着たことも初めての経験だった。
ペプチド5袋とリボースがなければ、今頃ひん死の重傷だったかもしれないが(笑)
、なんとか乗り切った。
さらにしかも、レース用のスイムキャップを忘れたためにメッシュで泳いだが、
最初の50Frがジャパンマスターズのプラス0.15秒くらいで収まり、
その後のリレー2種目は正式掲示はなかったものの、
最後のフリーリレーは引き継ぎで26秒1くらで泳いでいたらしいので、
まぁ大健闘だろう・・・と自画自賛しつつ、
これまたスイミングスクールの後輩である金田慶列クンの焼き肉屋さん、
「若富」にて、見事に打ち上がった(笑)。
泳いで⇒飲んで⇒盛り上がるという図式に、
地方と関東圏の格差はない(爆)。
むしろ地方の方が、食べ物が美味くて得した気分にさえなれる。
この大会。
実は35年前、私が初めて100m自由形のレースに出た大会である。
その当時は子供たちの大会・・・という印象だったが、
今では「子供6:大人4」くらいの比率の大会になっていた。
出生率低下なども原因なのだろうが、
早めに大人対応の大会になったことで、
参加者数はそれなりに維持され、なんとか存続しているようであった。
それと気がついたのは、高校生の出場者が小・中学生に比べて少ないこと。
地方ならではの理由というか、
おそらく大学受験による競技中断などの影響はあるのかもしれない。
とはいえ、大会ののんびりした雰囲気からは「存亡の危機」までは行かない感じだが、
こういった、市民大会レベルの競技会がもっと盛り上がって、
参加者が増えるように、頑張ってもらいたいと思う。
それにしても、灼熱地獄だったこの大会。
競技役員の皆様は本当にお疲れだただろう。
地域のこういった大会は、役員さんの人数確保も重要な問題だ。
逆に、少ない役員数で開催できるような規約改定なども必要なのかもしれない。
アメリカなどは、選手父兄に役員ボランティアをさせる・・・というルール作りで、
なんとか地域大会を運営しているが、
日本もそろそろ、そういう時期に差し掛かってきたのかも知れない。
しかし、そんな環境における試合だったのに、
役員さんは一人も熱中症で倒れなかったというから、
そのタフさたるや・・・スゴイとしか言いようがない。
本当にご苦労様でした。
そして、スイマーとしての私のルーツともいえる大会が、
規模が小さくなったり無くなるのは寂しいので、
是非、今後とも頑張って盛り上げていただきたいと思います。

