緊急帰国したのが、いつだったか忘れた(笑)。
昆明で家内から連絡を受け、母が危篤であることを知り、
通訳のシュウさんらの尽力により、帰国便の手配をしてもらった。
自分の仕事は倉澤コーチと、
自称「チーフマネージャー」篠崎クン、練習係の前田クン(両者、体育学科)に引継ぎ、
まだみんなが寝静まっている時間にホテルを出たて、空港に向かった。
あいにく国内では台風通過で、その日に故郷行きの飛行機が欠航になってしまったが、
大阪から翌朝の便で帰京。
・・・で、
今に至る。
私が不在だった10日間程度の間に、家内が大変な思いをしながら、
素晴らしい対応をしてくれていたおかげで、
最初の頃は私自身の仕事はそう激しくなかったが、
入院した母よりむしろ、生活能力のない父の方が、
その後大変なことになった。
とりあえず最悪の事態は逃れたが、
実家が「一家壊滅寸前」になってしまったことは、
長男として非常に重く責任を感じているところである。
父は、高卒で軍備関係の工業系の仕事に着こうとしていたが、
なぜか公務員となり警察学校に入った。
乗り物好きが高じて交通機動隊に入り、
30年間勤続で表彰もされた、バリバリのバイク野郎だった。
あまりにも現場が好きで昇級試験さえもパスしていたが、
母に促されながら勉強し、どんどん昇進し、
定年退職するまでの間、よく働いた。
しかし、退職後は、
「天下り」などが各所で問題になる世の中になり、
その社会現象が父にも飛び火し、
不本意にも、彼は余生を生きるための仕事には就けなかった。
さりとて、その他の職業訓練を受けていたわけではないので、
もう15年くらいは、退職金と年金でもって、
ほとんど母と二人で「毎日が日曜日」の生活だった。
そこから、両親の生活力の低下が始まり、
ここ数年はかなりそれが急激な変化となって、
我々もどうしたらいいものか、悩んでいた。
特に父は、それまでは仕事の付き合いなどで飲みに出たりすることが多く、
野菜も魚もそれなりに食していたのだが、
そういった付き合いがなくなったとたん、
肉・肉・肉の毎日になり、
野菜は一切食べなくなった。
ちょうど、今のウチの水泳部のショートの広〇クンや、
長距離の茂〇クンのような食生活になってしまったのである(笑)。
そこから父は高脂血症が起こり、脳への酸素・栄養素の供給量が低下し、
脳萎縮が始まった。
なので、先ほど挙げた二人を含む、
ウチの選手で野菜嫌いの君たちも、
あと数年その食生活を続けていたら、
就職する頃にはうまいこと脳萎縮が始まるから(笑)、
今のうちに改善した方が良いと思うよ。
競技者としてでなく、それ以前に人間として、
きちんと生きるために・・・ね。
で、話を父に戻そう。
数年前、私は「このままじゃ、そのうち父はボケる」・・・と危機感を得て、
東京に来いとか、
食事の宅配を頼もうとか、
運動か何かするように仕向けたりとか、
色々と挑戦した。
しかし、どれもこれも全く聞き入れてもらえなかった。
そうこうしているうちに、昨年末に父は血尿からの「膀胱がん」発見となり、
1月に手術で小さいながらも多くのがんを除去。
そこから半年間の通院と放射線治療。
一応、転移は認められなかったものの、
もう一つ別に潜んでいた病気が刻々と進んでいた。
で、今回の大惨事寸前・・・と相成った。
最初は母の危篤のための帰京だったのに、
その母は少しずつ回復していて、
気がついたら主役は父に代わっていた。
どんな親や!(笑)
日ごろ、時折マスターズの指導をしたり、
健康運動指導の現場を見たりして、
いつも高齢者の運動機会の必要性を感じていたが、
我が両親こそ、本当はそういう習慣づけをしてやらねばならなかった。
いや、やったけど、運動のフィールドに出てくれる事は、
最後の最後までなかった。
自分の力不足だった。
今回の一件の後、両親がどこでどう生きるか、
まだまだ不安なことは多い。
しかし、これから高齢になる我々は、
この反省を日々の鍛錬とその普及につなげ、
こういった不幸な家庭が減るよう、努力せねばならない・・・と思うのであった。
まだそれらのコトはすべて片付いてはおらず、
継続的に様々な対応が必要となるが、
まずは、緊急で二人の人命がどうにかなってしまう状況だけは、
回避することができた。
ご迷惑をおかけし、ご協力いただいた多くの方々には、
改めて感謝申し上げひれ伏すしかない。
ただ・・・、
もうインカレ前に「何か」が起きるのは、
正直、
勘弁して欲しいのがホンネである。
「厄落とし」というにはあまりにもキツ過ぎる。
昆明から帰国後の私の記憶を、
一気に消してしまえる消しゴムを、
是非、中田クンに出してもらいたいものである(笑)。