2010年07月22日

「Playning」の試み

今年度の自分のテーマ(今頃言うなって!)は、

「Playning」である。

これは造語で、「Play(遊び)」と「Training(トレーニング)」を掛け合わせたものである。

3月のスポーツ方法学会(現・日本コーチング学会)のシンポジウムで、

筑波大の長谷川清聖先生が最初に話された言葉である。

 

私なりにそれらを解釈し、

それ以降、従来のスポーツ・トレーニングにおける「鍛錬」「根性」などの要素を、

ストイックに追及する・・・というところから一旦離脱してみたいと思ったのである。

そして、遊びながら自然にキツイことに立ち向かわせ、

様々な身体諸能力の適応をはかろう・・・という壮大な試み(笑)である。

 

既に終わったマスターズ・ワークショップは、

それに「学び」の要素が加わったものであった。

大学で行っている新規科目「健康・スポーツ教育実習(ウータースポーツ)も、

いろいろと私なりに様々な遊びを「実験」しながら、

徐々に水中遊びの本質と、身体への負担や身体適応を観察していた。

「水泳方法論」で行った「水遊び実践」では、

50を超える遊びのバリエーションを作り出すことができた。

おそらくそれらは、

臨海実習や後期の水泳2の授業でも役立てられることだろう。

 

閑話休題。

「水泳1」では、そんな余裕はなく、

それ以前に「ゆとり教育」によってどっぷり「ゆとってしまう」(笑)生活に浸った若い連中のケツを叩き、

まずは「実技を学習する人間としての心構え」を学ばせることが主眼のため、

あえて「Playning」の対極に位置する「ストイック」なカリキュラムにした。

泳ぐ技量が足りない学生に対して、

無理にハードルを下げてテストを合格させるのではなく、

「足りなければ自主練習して補わないと、単位は出せない」

・・・という、スポーツの中にある「厳しさ」の側面を分かってもらうためでもある。

「ゆとり」で育った人が、そのままゆとりにどっぷり漬かったまま体育教員になって、

「ゆとり」を再生産することを、我々がここで食い止めなければならないのである。

 

今度行われる日大スイミングでは、

「Playning」のエッセンスが含まれたプログラム作成を、

淳也チーフに指示している。

水難事故が増えているのは、公立学校のプール数の減少が無関係ではない。

また、それらの学校のプールでの水泳指導力の低下は、目を覆うものがある。

加えて、中学や高校でも、

水泳をきちんと教えられる体育教員はどんどん減っている。

これは、文科省の教員養成の基準の改訂が大きく関わっている。

「水泳を指導できなければならない」⇒「水泳を指導できる方が望ましい」(要旨)

たった語尾のほんの少しの改訂によって、

「水泳が教えられない体育指導者」がわんさか増えた。

島国日本でのこの現状は、どこかで歯止めをかけさせなければならない。

これ以上、水難事故により不幸に陥る家族を、増やしてはならないのである。

だから、ここで水泳の楽しさを知り、

泳げるようになるために必要な諸能力を築き、

水泳に対する理解者を一人でも増やすことができれば、

相当うれしい(笑)。

それらを持ち帰って、各学校で広めて欲しい。

教員が変わらないのなら、

生徒の力で教育を変える・・というのもアリだと思うのである。

 

さて、今回の教室では、

大手スイミングクラブでは「安全管理上絶対にできない楽しいこと」をやろうとしている。

だから、父兄席から「〇〇教室とやってることが一緒だった」という声が聞こえたら負け。

「来年また来たい」「冬もやって欲しい」という声が聞こえたら勝ち。

水泳業界では「インディ」である我々の強みを、

存分に見せてほしいのである。

かといって、安全管理は怠ってはならない。

それは、マスターズWSのウオーキングで、GPSの必要性を実感し経験済みだ(爆)。

指導に入る人たちは、その辺の意識を高く持って、

指導にあたって欲しいと請い願う。



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この記事へのコメント
そうですよね
水の中で迷っちゃうと
息が出来ないですから・・・
来年も又、マスターズWSで迷いたいな
いやっその前に
大人の日大スイミング無いんですか?
Posted by GPS at 2010年07月22日 15:42