今年度の自分のテーマ(今頃言うなって!)は、
「Playning」である。
これは造語で、「Play(遊び)」と「Training(トレーニング)」を掛け合わせたものである。
3月のスポーツ方法学会(現・日本コーチング学会)のシンポジウムで、
筑波大の長谷川清聖先生が最初に話された言葉である。
私なりにそれらを解釈し、
それ以降、従来のスポーツ・トレーニングにおける「鍛錬」「根性」などの要素を、
ストイックに追及する・・・というところから一旦離脱してみたいと思ったのである。
そして、遊びながら自然にキツイことに立ち向かわせ、
様々な身体諸能力の適応をはかろう・・・という壮大な試み(笑)である。
既に終わったマスターズ・ワークショップは、
それに「学び」の要素が加わったものであった。
大学で行っている新規科目「健康・スポーツ教育実習(ウータースポーツ)も、
いろいろと私なりに様々な遊びを「実験」しながら、
徐々に水中遊びの本質と、身体への負担や身体適応を観察していた。
「水泳方法論」で行った「水遊び実践」では、
50を超える遊びのバリエーションを作り出すことができた。
おそらくそれらは、
臨海実習や後期の水泳2の授業でも役立てられることだろう。
閑話休題。
「水泳1」では、そんな余裕はなく、
それ以前に「ゆとり教育」によってどっぷり「ゆとってしまう」(笑)生活に浸った若い連中のケツを叩き、
まずは「実技を学習する人間としての心構え」を学ばせることが主眼のため、
あえて「Playning」の対極に位置する「ストイック」なカリキュラムにした。
泳ぐ技量が足りない学生に対して、
無理にハードルを下げてテストを合格させるのではなく、
「足りなければ自主練習して補わないと、単位は出せない」
・・・という、スポーツの中にある「厳しさ」の側面を分かってもらうためでもある。
「ゆとり」で育った人が、そのままゆとりにどっぷり漬かったまま体育教員になって、
「ゆとり」を再生産することを、我々がここで食い止めなければならないのである。
今度行われる日大スイミングでは、
「Playning」のエッセンスが含まれたプログラム作成を、
淳也チーフに指示している。
水難事故が増えているのは、公立学校のプール数の減少が無関係ではない。
また、それらの学校のプールでの水泳指導力の低下は、目を覆うものがある。
加えて、中学や高校でも、
水泳をきちんと教えられる体育教員はどんどん減っている。
これは、文科省の教員養成の基準の改訂が大きく関わっている。
「水泳を指導できなければならない」⇒「水泳を指導できる方が望ましい」(要旨)
たった語尾のほんの少しの改訂によって、
「水泳が教えられない体育指導者」がわんさか増えた。
島国日本でのこの現状は、どこかで歯止めをかけさせなければならない。
これ以上、水難事故により不幸に陥る家族を、増やしてはならないのである。
だから、ここで水泳の楽しさを知り、
泳げるようになるために必要な諸能力を築き、
水泳に対する理解者を一人でも増やすことができれば、
相当うれしい(笑)。
それらを持ち帰って、各学校で広めて欲しい。
教員が変わらないのなら、
生徒の力で教育を変える・・というのもアリだと思うのである。
さて、今回の教室では、
大手スイミングクラブでは「安全管理上絶対にできない楽しいこと」をやろうとしている。
だから、父兄席から「〇〇教室とやってることが一緒だった」という声が聞こえたら負け。
「来年また来たい」「冬もやって欲しい」という声が聞こえたら勝ち。
水泳業界では「インディ」である我々の強みを、
存分に見せてほしいのである。
かといって、安全管理は怠ってはならない。
それは、マスターズWSのウオーキングで、GPSの必要性を実感し経験済みだ(爆)。
指導に入る人たちは、その辺の意識を高く持って、
指導にあたって欲しいと請い願う。


その前に