2010年07月15日

「泳本」は間違いなく「エエ本」です。

エー本

 

 

 

 

 

 

 

 

すでにここここでも紹介されたが、

原コーチによる「水泳虎の巻」が発刊された。

原コーチとの出会いは彼が大学2年を追えようとしていた冬。

あれから15年でこういう状況になるとは、

夢にも思わなかった(爆)。

フリスタのマネジメント力、恐るべし。

 

そんな原さんの最初の印象は・・・、残念ながらあまりない(笑)。

一つ下でエースだった福田浩士選手や、

原さんと同期の林泰輔選手、

平泳ぎの益子浩嗣選手といった、

当時、極めて水の捉えが上手な選手が同じ部に数名いたため、

原さんレベルでは、全然目立たなかったのである。

 

しかし、動きの学習能力は、この中でピカイチだった。

ちょっとしたドリルでも、すぐにコツを習得するし、

難しいメニューの組み合わせでもすぐに覚えた。

それは、前任のコーチ曰く「こいつはちょくちょく泳ぎを変えるからダメだ」

となるのだが、換言すれば、

「正しい方向にいつでも変えることができる」

となるわけなので、

「そりゃ面白い」と思える選手であった。

 

しかし、どうしても覆せない欠点が2つあった。

高心拍系の練習で追い込めないことと、

キックが極端に弱いことであった。

その代わり、何にも代えがたい能力もあった。

プルがべらぼうに強かった。

 

「クロール改造法」のDVDにも示していたが、

そんな彼が最初に取り組んだのは、

苦手なキックの数を減らして(6キックから4キックへ)、

腕の強さを生かして200をもつようにさせることだった。

今思えば、ここで一旦100に特化してから200に行けば良かったのだが、

当時の私の能力ではそこまで頭が回っていなかったし、

チーム事情により、

インカレでは彼に800FRを泳いでもらわざるを得なかったということもあった。

それらは一応功奏し、徐々に記録を伸ばすことはできたが、

それでもやはり周りから抜きんでるような感じではなかった。

社会人になり、当時トップクラスだった前田泰平選手、福田選手が引退し、

やはり泳ぎのうまい伊藤兄弟が台頭してくると、

ますます原さんの泳ぎは陰に隠れてきた(笑)。

 

しかし、USCでマーク・シュパード氏から6キックを勧められ、

キック練習もバリエーションを増やして頑張り始め、

高心拍系のトレーニングも「イタリア流」を入れ始めて、

さらに「グラント・ハケット流」のレース・ペーシングの練習方法に変えてから、

2000年の五輪選考会(当時はスパッツ)でついに1分50秒4の日本新で泳いだのであった。

その後の彼の活躍は、これらを見て分かる通り、

みなさんも知っての通りだと思われる。

あ、まだ見ていない人は、ここから注文してください。

 

 

その活躍の陰には、彼自身の徹底した身体の管理と、

一人でもフツーに7000くらいの練習を黙々と泳げる精神的資質と、

泳ぎに対する飽くなき追求心があったこそだと思う。

今のウチの学生たちは、

入学時に既に、原さんより速い選手たちばかりである。

原さんのような気概を持てて、

「普段の生活からすべてが競技力を作っている」という行動が伴えば、

みんな一年足らずで、原さんの記録には追い付けるはずである。

いつも身近過ぎて、彼の功績を知らないウチの部員たち。

いつも、スイマガでもグラビアページしか読まず、

私の原稿など飛ばして読んでいる(笑)連中も、

写真の多いこの本は、是非読んで欲しい1冊である。

 

そう。「泳本」は間違いなく「エエ本」で、

決して「エ〇本」ではないのである(笑)。

で、次回ベースボールマガジン社作の水泳本を予告しますと、

「小向美奈子と泳ごう」で、

私が監修します(←↑当然デマです)。



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この記事へのコメント
ってことは、次回作も私が実演ってことでいいっすか?(爆)
Posted by はら at 2010年07月15日 23:33
SSS練習会の帰りに乗り換え駅の本屋さんで立ち読みして来ました

でもジャパンのブースで(失礼、笑)になってサイン書いて貰う事になっているので、購入しないで帰って来ました?

がしかし、買って来て読んだら、ジャパンでより良い泳ぎが出来たかも
Posted by 元アルフノハハ at 2010年07月16日 10:45