原コーチによる「水泳虎の巻」が発刊された。
原コーチとの出会いは彼が大学2年を追えようとしていた冬。
あれから15年でこういう状況になるとは、
夢にも思わなかった(爆)。
フリスタのマネジメント力、恐るべし。
そんな原さんの最初の印象は・・・、残念ながらあまりない(笑)。
一つ下でエースだった福田浩士選手や、
原さんと同期の林泰輔選手、
平泳ぎの益子浩嗣選手といった、
当時、極めて水の捉えが上手な選手が同じ部に数名いたため、
原さんレベルでは、全然目立たなかったのである。
しかし、動きの学習能力は、この中でピカイチだった。
ちょっとしたドリルでも、すぐにコツを習得するし、
難しいメニューの組み合わせでもすぐに覚えた。
それは、前任のコーチ曰く「こいつはちょくちょく泳ぎを変えるからダメだ」
となるのだが、換言すれば、
「正しい方向にいつでも変えることができる」
となるわけなので、
「そりゃ面白い」と思える選手であった。
しかし、どうしても覆せない欠点が2つあった。
高心拍系の練習で追い込めないことと、
キックが極端に弱いことであった。
その代わり、何にも代えがたい能力もあった。
プルがべらぼうに強かった。
「クロール改造法」のDVDにも示していたが、
そんな彼が最初に取り組んだのは、
苦手なキックの数を減らして(6キックから4キックへ)、
腕の強さを生かして200をもつようにさせることだった。
今思えば、ここで一旦100に特化してから200に行けば良かったのだが、
当時の私の能力ではそこまで頭が回っていなかったし、
チーム事情により、
インカレでは彼に800FRを泳いでもらわざるを得なかったということもあった。
それらは一応功奏し、徐々に記録を伸ばすことはできたが、
それでもやはり周りから抜きんでるような感じではなかった。
社会人になり、当時トップクラスだった前田泰平選手、福田選手が引退し、
やはり泳ぎのうまい伊藤兄弟が台頭してくると、
ますます原さんの泳ぎは陰に隠れてきた(笑)。
しかし、USCでマーク・シュパード氏から6キックを勧められ、
キック練習もバリエーションを増やして頑張り始め、
高心拍系のトレーニングも「イタリア流」を入れ始めて、
さらに「グラント・ハケット流」のレース・ペーシングの練習方法に変えてから、
2000年の五輪選考会(当時はスパッツ)でついに1分50秒4の日本新で泳いだのであった。
その後の彼の活躍は、これらを見て分かる通り、
みなさんも知っての通りだと思われる。
あ、まだ見ていない人は、ここから注文してください。
その活躍の陰には、彼自身の徹底した身体の管理と、
一人でもフツーに7000くらいの練習を黙々と泳げる精神的資質と、
泳ぎに対する飽くなき追求心があったこそだと思う。
今のウチの学生たちは、
入学時に既に、原さんより速い選手たちばかりである。
原さんのような気概を持てて、
「普段の生活からすべてが競技力を作っている」という行動が伴えば、
みんな一年足らずで、原さんの記録には追い付けるはずである。
いつも身近過ぎて、彼の功績を知らないウチの部員たち。
いつも、スイマガでもグラビアページしか読まず、
私の原稿など飛ばして読んでいる(笑)連中も、
写真の多いこの本は、是非読んで欲しい1冊である。
そう。「泳本」は間違いなく「エエ本」で、
決して「エ〇本」ではないのである(笑)。
で、次回ベースボールマガジン社作の水泳本を予告しますと、
「小向美奈子と泳ごう」で、
私が監修します(←↑当然デマです)。

さんで立ち読みして来ました
(失礼、笑)になってサイン書いて貰う事になっているので、購入しないで帰って来ました?