監督さんのお見送りに、授業で行けなかった私は、
今日、日帰りでお線香を上げに実家に赴いた。
監督さんの遺影は、今にも「よぉ来てごしたわいのぉ」とでも言わんかの如く、
元気な頃のお姿そのものだった。
ウチの実家の両親とご遺族との会話の中にも、昔の苦労話が数多く出た。
先日の日本選手権の時には既に意識が遠のかれていたようだったが、
去年の国体くらいまでは、私が解説で出ると、
入院先でもテレビをつけて下さったという。
私がまだ指導者になりたてで、
解説もデビュー仕立てだった頃にお会いしたとき、
事務所に招かれお茶をいただきながら、
「わしゃぁ、お前にスマンことしたと思うてなぁ」
と切り出された。
「お前がよくテレビで言っちょったように、
『小さい頃から4泳法をきちんと練習させる』方が、
ええ選手ができるけんなぁ。
あげに(そういう風に)言われれば、今の選手は確かにそうだがな。
わしゃ、お前にはクロールしかさせんかったけん、
今思えば悪かったのぉ」
あの時代に、
実家の農作業を指導のためにサボって怒られたりしながらも(笑)、
決して監督さん自身が裕福になったわけでもなく、
逆にいい選手を多数輩出したことで、人からは恨みつらみも受けながら、
監督さんは長い間頑張ってこられた。
今にして、何もなかった時代に手探りで、
日本水泳連盟が財団法人化するよりずっと前に、
島根県水連を財団法人化した経緯だとか、
貴重な話も今日はたくさん聞けた。
翻って、今、我々の時代は、
これだけ社会的な変化があって、
情報も早く、練習環境も整ってて、
当時からどのくらい変わったかと問われれば、
確かに、日本選手権などの大会も華やかにはなってきたものの、
それで?・・・と思うと、悲しくなる自分がいるのも否定できない。
日本の水泳界では、未だに選手への指導はボランティアが多数を占め、
一部スポーツクラブ業界だけが収益を上げ(それもかなり苦労した挙句)、
地域では競技人口が激減している。
監督さんが頑張ってきた時代と比べて、
確かに五輪や国際大会では、成果を挙げてきているものの、
業界全体を見て「どうなの?」と思えることの方が多いように感じるのは気のせいか?
もちろん、私にも関係者として責任はある。
しかし、システムそのものが現代の社会に見合っているのかどうか、
今一度再検討するには、ちいとばかし遅いくらいの時を迎えているのかもしれない。
そんなことを、帰りの出雲空港で、
中学・高校時代に熱狂的に毎日飲んだ「中酪コーヒー牛乳」を飲みつつ、
思い浮かべるのであった。
でも、多分明日も、
今日となんら変わらない日がやってくるのである。
