静岡勢は24日に打ち上げ、
多くの選手がJOに出場する。
本学と一緒に練習した高校生たちは、
自分たちの練習が終わると、
残っている選手たちの練習の、タイム計測を手伝っていた。
何か、微笑ましい1コマであった。
24日は富士から午後2時半頃に、
大学に戻った。
25日が卒業式のため、
あまり仕事ができないであろうと判断し、
24日のうちにできることはやっちまおうと。
・・・思ったのが命取りであった。
大学を出たのは、夜9時を回っていた。
見送ってくれたのは、夜桜だった。
4月1日から、またこんな日が続くんだろうなぁ・・・。
昨日の卒業証書授与式では、
私のクラスの卒業生の「氏名読み上げ」を担当した。
昨年はパーフェクトだったが、
今年はひと噛みしてしまった(笑)。
その後、研究室にお礼の挨拶をしに来るものも多くいた。
本学科では私の持つ「水泳」は必修科目なので、
私が単位を出さなければ卒業はできないのである(笑)。
特に、水泳が苦手な連中は、
実技試験で合格した瞬間、
感極まって泣き出す学生もいるくらいなのだ。
そういう思い出のある学生たちが、私の研究室に来て、
「4月から○○県警に行きます」だの、
「○○社で現役を続けます」だのと、進路報告もしてくれる。
嫌々取り組んだことでも、
頑張ることと、方法が伴うことで、
何とかやり遂げられることを学習している彼らは、
きっと社会に出てからも、
「その手の悩み」で潰れることはないだろう。
プール事務室でも記念撮影をせがまれたり、
バタバタしていると、
先日、兵役を終えて再入試に合格し、
日本に帰ってくることが決まった「ミンソン」が研究室にやってきた。
これはいい機会だと思い、
うちのクラス卒業生の連中に引き合わせたところ、
大盛り上がりだった。
彼は「兵役が無ければ自分もそこにいたかもしれない」
との思いがあったようだが、
クラスの仲間からは日本に帰ってきたことを大歓迎されつつ、
頑張って卒業するよう激励されていた。
謝恩会では、
相変わらずビンゴの引きの悪さに泣けたが、
その後クラスの連中が20名近く、
新宿区内の居酒屋に集まった。
そのクラスの連中から、
卒業記念に「花瓶」をプレゼントされた。
思わずこれにウーロンハイ入れて飲もうかと思ったが(笑)、
スマートな花瓶だったので、
これまた謝恩会で卒業生一同からもらった花束の中にあった、
一輪のバラを挿した。
これから社会に出て行く人たちはもちろん、
大学院や研究生として、
また教職浪人として、さらに過酷な勉強する人たちには、
いつか必ず大輪の花を咲かせ、
後輩たちの就職の面倒を見てくれたり、
あるいは、私に経費でご馳走してくれるくらいには、
成長していただきたい(笑)。
次に全員が揃うのは、
この中の誰かの結婚式か、
私の葬式である(笑)。
いずれにしても、笑って会えるように、
皆各所で、元気でいて欲しい。


