大学4年の頃。
1980年、モスクワ五輪での西側諸国のボイコットに始まり、ロスでの東側のボイコット返しがあり、8年ぶりに東西が揃った歴史的なソウル五輪の年だった。
その年、実はリング上でも革命的な出来事が起こった。
新日本からイレギュラーな形で枝分かれした、ユニバーサルプロレス。それが新日本に復帰し、その後前田日明選手のリング上でのアクシデントをきっかけに、前田解雇〜新生UWF旗揚げに繋がった。
猪木の神通力がそろそろ底をついたか?と感じていた私と当時3年生の住吉賢一は、当時監督であり共同通信運動部記者として活躍されていた石井先生の、「後楽園ホールなら席ぐらいとってやるよ!」の声を鵜呑みにして、UWF再旗揚げの興行を見に行った。チケットなんて持ってない。購入開始日には練習があり、チケットぴあに電話さえできなかった。しかも、発売から15分で完売である。でも、ホール受付で監督の名前出したら、席くらい用意してくれるだろうとタカをくくったにも関わらず、門前払い寸前の対応を受けた。しかし、賢一と私は一歩も引かず、どうしてもと言い張り、一般立ち見での入場を許可された。今思えば強引極まりないが、そこまでしても・・・という何かが働いた。
案の定。その興行はプロレス史に燦然と輝く素晴らしいものであった。後にも先にも、あんなに熱くなった興行は他にない。試合が終わってからも、賢一たちと碑文谷のデニーズで、朝までUWFと猪木を語った。コーヒーは20杯近く飲んだ(笑)。
ちなみに、時を経てその後のパンクラスの旗揚げは、強烈な印象はあった。シャムロックの裸締め(三角締め?)でのされた船木を見て、「とうとう(ガチンコで)やりおった・・・」という衝撃で言えば、UWFより上だったかもしれない。しかし、純粋に熱く試合を語れたのは、1988年のUWF再旗揚げが最後だったかもしれない。リングスも旗揚げを見に行った。個人的にはリングスは好きな団体だったが、正直UWF再旗揚げの初戦ほどのインパクトはなかった。リングスはほとんどの試合がキレイなので、余計にそんな気がする。ちなみに今でも私は、バーリ・トゥード・ルールよりも、リングスのKOKルールの方が好きだ。KOKルールがもっとメジャーになっていれば、アブ・コン(アブダビ・コンバット)ももっと日本人に受け入れられただろう。菊田早苗ももっと有名人になったに違いない。リングスKOKルールには、戦いのルールの中にもモラルが感じられる。格闘家という、過酷な「身体知の体現者」たるべき人間に必要な「美学」が感じられるのである。
いずれにしても、K-1も含めてそれらの流れを最初に作ったのは、猪木の「異種格闘技戦」であり、それを「源流」と呼べるような強い流れにして、更にはシステム化しようとしたのは、間違いなくUWFである。
だから、この本は普通に購入した。
あれからもう20年か。賢一もいまや、浜松で立派に暮らしているようだし、私もなんの因果か大学で「総合格闘技サークル顧問」なんぞ勤めるようになった。今のプロレス界の状況を見ながらこの本を読むと、当時の思い出が蘇りながらも、様々な思いが駆け巡る。巻末のあたりには、UWF解散前、当時UWF番だった安西氏が前田日明にインタビユーしたのがレビューされていた。20年経って、わかることが多い。
さて、機会があれば「半熟A・B」の話も、どこかでレビューして欲しいと思うのは、調子に乗りすぎか? 当時は半ばおちゃらけだったが、割と今の世界を予言しているところもあることに、我ながら時々驚く。日本は、歴史教育がおろそかにされているという批判があるが、血筋的にそれは言い得ていないと思う。それを「歴史」として指導することが歴史を知るすべての手段ではなく、「先見の明」を持った人を、時間の経過とともにどう扱うかの問題ではないかと思う。
ある本で読んだが、歴史を学ぶことの意義は、年号や出来事を覚えるのではなく、その当時、どんな状況で、どんな情報があり、その人は何をどう考え、決断したか?を知ることが、最も重要だという。愚息が通う塾は、確かに年号や出来事を覚える術は素晴らしい。しかし、上記のようなことは学べない。これ(当時の人のものの捕らえ方や考え方など)は、小学校の学校教育の場(いわゆる義務になっているところ)で、きちんと保障すべきであると考える。それをベースにして、出来事を覚えることで、歴史を賑わした様々な人のものの見方、考え方が「科学知」として理解できるようになるのである。
あ、長くなったのでそろそろやめよう。
