最近、いつの疲れだかわからないものが身体に乗っかった状態で、日々蓄積されていく仕事をこなしているのでが、その中で、あくまでも必要に駆られてというネガティヴな動機により、「体育・スポーツの意義」についてよく調べ、考える機会が増えている。
現場で一生懸命指導していると、あちらの私が時折「なんでそんなに一生懸命やるん?」と聞いてくることがある。そりゃあんた、そこにいる人方が速くなりたいわけだから、できる限り頭捻って、手助けするんはコーチ(あるいは教員)として当たり前やん・・・と思うのだが、あちらの私は、「で、その速くなった人はその後どうなるの?」と聞く。
それは・・・うー・・・正直、よくわからない。
長年様々な場面で指導したが、確かにその後の私が指導させていただいた方々の行く末は、関知していない。「受け取り方は自由だ」という亀田父ではないが(笑)、私自身もそういう考えがなくはない。ただ、あちらの私にはそれが気に食わないらしい。「速くなるだけでいいの?」と、いつも私に言うわけである。
選手でもマスターズでも、授業に出てくる学生でも、人によっては指導を受けた後に「有難うございましたっ!」と最敬礼していく人もいれば、顎で「ふ〜ん」みたいな感じで通り過ぎる人もいるし、コーチ需要に関しては、人それぞれである。むしろ、それはコーチの立場では、相手方の人生の送り方に委ねるしかないと考えている指導者が、(こちらの)私を含めてかなり多くいる。コーチ間でよく話題になる「あいつには言っても仕方ない」とか「あの子はそういう育ち方をしてきたから」というのは、その代表語であろう。
しかし、どんな対象者であれ、我々が指導した結果よい方向に導かなくてはならない(そう決め付ける必要はないのかもしれないが)のは、スポーツ・コーチングの常識だが、でもそれだけが我々の担っている仕事か?と思うと、決してそんなことはない・・・ことはなんとなくわかる。
では、その着地点は一体何処にあるのだろうか?「技術」「体力」を高めるために得た「エピステーネ(科学知)」「テクネー(身体知)」に裏打ちされたトレーニングプログラム。またはそれらを学ぶ手段としての「学問」「遊戯」・・・これら全てに関わっているはずのスポーツ・コーチングの果てにあるのは、一体何だろうか?
フリスタ事務所に届いた、ジュニアキャンプのアンケート。中にはアンケート以外にもお礼の手紙などを送ってくださった父兄や選手もいらした。本当に有難いことだし、スタッフが準備段階から懸命に努力している成果であろう。多くの子供さんが、キャンプ後にベストを更新したという話だけでなく、子供の精神面の変化を記してくださる内容もあった。こういうのを見ると、確かにコーチ冥利には尽きるだろう。
でも、それだけでいいのか?という疑問もまた、私の頭には漁火のように、浮かんでは消えを繰り返す。
大学院時代、浅見先生から言われたことで今も引っかかっている言葉がある。
「科学は、人の生活を豊かにするためのものだ」
我々がスポーツ・コーチングや授業の指導により、一般スイマーや選手や、授業の受講者にもたらすものは、決してテクニックの上達や体力の変化だけではないはずである。では、スポーツの何が一体、人の生活を豊かにするのだろう。
少なくとも、そんなことを本気で考えている私は、現在、スポーツによって上がりようのないドツボに嵌っているのは確かだ(自虐)。来月末まで、こんなことで悩む日々が続く。
