2007年10月18日

木原先輩、お疲れさまでした。

木原光知子先輩が亡くなられた。昼の学科研究室会議の時に携帯メールが鳴り、訃報を知らされた。

実は先週、倒れられた後に情報が入っていたのだが、こんなに早くお亡くなりになられるとは思わなかったので、かなり驚いた。

先輩との直接的なつながりと言えば、私が本学の専任になる前だったろうか。ウーマンズの泳法研究会に講師として招かれ、私が空気を読めない生真面目な指導をしていたときに、「んもぉ、しょうがないわねぇ」みたいな感じで横から入ってこられ、一気にお客さんを持っていかれた(虜にさせた)こと。それからワールド・スイム・フォー・マラリアのお手伝いをさせていただいたときにその事務局に木原先輩が多大な協力をされていたことを耳にしたことくらいだったが、実は私が小学校時代に最も影響を受けたのが、木原先輩の著書「どんどん泳げる」であった。

 

私の学生時代。碑文谷の合宿所の食堂のホワイトボードには、毎年夏になると「OGの木原様より、スイカの差し入れがありました(当番)」の字が躍った。当時80名超の部員がいた合宿所に大量のスイカの差し入れが届いた日の当番は、「OG」を「OB」と書き間違えると、集合がかかったものだった。

我々後輩たちにとっては、近くで直接何か指導されるのではなく、遠くからいつも見守ってくださっている、そんな「姉御肌」な先輩であった。

 

先日、秋田国体のときに古橋名誉教授に少しだけ相談ごとがあり、会場のすぐ外で話し込んでいたときに、木原先輩が近くを通りかかったので、挨拶をさせていただいたら、古橋先生が「おお、紹介するよ。ウチの大学で僕の後で頑張ってくれてる野口・・」と私を紹介してくださった。木原先輩は多分、そんな以前のウーマンズのことなど忘れてらっしゃるだろうから、私も初対面のごとく改めて自分の名刺を出すと、木原先輩も水連の名刺を出して丁寧に挨拶してくださった。確かに言われてみれば、多少お疲れ顔だったようにも思えるのだが、その直後にウーマンズがあったわけで、さぞお疲れのことだったのではないか?と思う。

アスリートは厳しい鍛錬を課すわけで確かに寿命は保証できないのかもしれない。しかし、私はそれ以上に、これまでの道のりで得たストレスたるや、並大抵のものではなかったのではないかと思う。

今でこそ、五輪選手たちが水泳番組中心にテレビに出るようになったが、木原先輩は水泳やスポーツ関連以外の番組でも、ちゃんと一タレントとして「ピン」で成功されていたことが、根本的に今の選手OG達と異なる。今の彼女らでさえも大変な思いをして頑張っているのだが、当時の社会でのジェンダーの考え方などからすると、今と比べ物にならないくらい多くの障壁があったのではないかと思う。

それでも、木原先輩が、ご自身を育ててくれた水泳を忘れず、プールをもたれ指導もされつつ、水泳から離れたところで芸能活動を両立されたことを顧みると、水泳のないところで水泳を知らない人たちに「木原光知子」をアピールし、次にそういう方々をプールに引っ張ってくることで水泳の虜にする・・・そうやって、新しい水泳人口を増やしていったことがわかる。でも、そういったことがわからない人たちからは、表に出る芸能活動的なところしか見えないから、いろいろな僻みや妬みも受けたのではないかと思う。

しかし、そういったことに耐えての仕事ぶりは、まさしく背中で我々に「水泳を広め続ける姿勢」を示してくださっているようにも思えて仕方がないし、20代後半から解説者をして、時にいろんなことを言われてき私にとっても、先輩の存在は本当に勇気をいただける光であったのだ。

先輩が講演などの際に語られていた言葉に「水泳は、なんでも水に流してくれる」という語りがあったようだが、先輩の死は、簡単に水に流せそうにない。しかし、その筋肉質な後姿を思い出しつつ、「お疲れ様でした、ごゆっくりお休みください」と、無礼な後輩の一人として述べておきたい。

合掌。



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この記事へのコメント
私も昨夜PCの前でびっくりしました。本当に「まさか」という感じでした。
現役の頃、毎年ウーマンズのガードをさせて頂き、通りがかると私たちガードにも気さくに声を掛けて下さる方でした。
プール事務室にもいらっしゃったことがあるんですよ!挨拶もイスの座り方もまさに「体育会系」な方で、野口先生のおっしゃる「姉御肌」というのがすごく分かります。
本当に残念です。ご冥福をお祈り致します。
Posted by やすい at 2007年10月19日 09:28