「報道陣」の中で一番乗りで会場入りした。したがって、私のゼッケン番号は1番。やや縁起がいい。
しかしこのゼッケン。ちょっと手を加えるとこういった感じになる。(気づかずにこのまま半日過ごした、○藤アナ=明日の相方)
今朝はちょっとした珍プレーがあった。少年男子A400m自由形を自己ベストで制した、神奈川の葛原選手。世界競泳男子800リレーのメダリストで、場内インタビユーで感激のあまり号泣していた、あの選手である。
400Frの表彰式のあと、すぐに混合男子200リレーの1組目、神奈川チームの第2泳者として登場しなければならなかった。
葛原選手は、表彰式後駆け足で、一旦場外へ出て、通路を走って移動したが、今大会はものすごく導線が複雑で、どうも道に迷ったか遠回りしたらしく、リレー1組目の全選手が入場したのに、まだ彼の姿はない。
200リレーは第1、第3泳者がスタートサイド、第2、第4泳者がターンサイドに行き準備するのだが、神奈川だけ、ターンサイドに第4泳者の小笠原先生(桐蔭高校社会科教諭)一人しかいないのである。
場内には「しばらくお待ちください」という通告が流れた。
記者席では「葛原をちゃんと案内してやらなきゃ」と言っていたのだが、そんな心配は的中するもので、遥かダイビングプールのあたりから彼は登場し(笑)、早足でターンサイドへと移動した。途中、本部席前で見かねた役員から、おそらく「慌てなくていいよ」とこえをかけられたらしく、駆け足をやめ歩いて移動していたが、水着にスニーカーを履いて、必死にキャップとゴーグルをつけながら大きな身体を小さくして歩く彼の姿が滑稽で、かなり場内の笑いを誘った。
ターンサイド側の召集席あたりにくると、事情を知っている選手たちからも声がかかったのだろう。葛原選手がだいぶ落ち着きを取り戻しそうになったとき、なんと、おなじチームの小笠原先生が、自分たちのコースから歩いて召集所付近に近づき、なんと、葛原選手が脱いだシューズを先生自ら持って、恐縮する葛原選手になにやら話をしてなだめながら、自分たちのコースについた。
さすが、自分のクラスから東大だのといったところへ出すほどの、進学校の先生である。
葛原選手は、800リレーのあとのインタビユーで、そういった支えてくれた方々への感謝の述べた。
30歳以上の選手が同じチームにいることで、若手選手にこんな教育的な効果があるということは、体育協会の上層部にはわからないことだろう。まぁ偶然の産物ではあろうが、それ以外にも多分、一杯こういったことはあるだろう。
また、葛原選手は「これまで、僕は世界競泳に出ることで、インターハイは出られなくて、チームメイトの戦う姿をテレビでしか応援できずに申し訳なかったけれど、これで(今日3冠)帰ってから、少しはみんなのためになったかと、胸張って学校に行けそうです」と話していた。
なかなか、人間的に面白そうな選手が、力をつけ台頭してきた。しかし、それは自然発生的に育つのではなく、こういった「人が人を育てる」という原理が、いろんなところで働いているからである。
人は、人が育てる。環境も加わる。しかし、環境も人がつくる。だから人を育てる、あるいは自分も育つということは大事なのだ。
成年男子30歳以上50m自由形、最後の優勝を大会新で決めた、原選手。その後ろは、日本一マッチョで気が利く進学校の社会科教師且つオリンピックコーチ、小笠原先生(W大OB)。
その小笠原選手を破った原選手。課題にしていたことはこなせたので、一応4月の目処が立った。あとは明日、尚人がそういうレースを見せてくれるかどうか。やや心配だが、彼もいろんな状況の中で育つものと思い、放送席から信じて見守ろうと思う。
競技終了後、練習に励む選手たちの姿があった。明日以降に出る選手も熱心に準備をしていたし、加えて今回出られなくて補助役員をやっている水泳部っぽい人たちが、仕事の終わりに、記念に泳いでいるのかはわからなかったが、みなそれぞれ、明日のために泳いでいた。あと2日。今シーズン最後のレースとなるひとと、新シーズン初戦の人が混在する、解説者泣かせの国体の放送が、いよいよ大混乱のうちに始まってしまう(笑)。



野口先生のブログ楽しくって、国体会場へ今すぐに応援に行きたくなってしまいました
