昔、NHK教育でやっていた、糸井重里さんがMCの「you」という番組で、「坂本龍一作曲講座」というのがあった。
今でも時折そのビデオを見るが、もっとも興味深かったのは、「雑音とは、人が無視することを学んだ音」というフレーズであった。無視しなければそれは雑音ではない、というのである。
「無視しない」というのは、「意識する」ということに置き換えられる。
多くの音が集まるオーケストラの音でも、ある楽器の音を意識すると、その音階がはっきりと聞こえる。意識しないと、他の楽器の音に打ち消される。スポーツでのヒトの身体動作も、ある一点を意識するかしないかで、その動きの見方が180度変わることがある。
例えば、あちらの私が以前ストロークの動作について、酔った勢いで語っていたことがある。
手の軌跡にこだわって、ストロークをどげんかせんといかん!と思っていても、意外とラチがあかないものであると。また、自分の運動感覚と実際の手の軌跡を比べると、驚くくらいイメージどおりできていないものである。これはいくらビデオを見ようが何しようが、ほぼ100%イメージと実際の動きは合致しないものであると。
言われてみれば、中学の頃。技術家庭の先生がよく言っていた。「フリーハンドで書く直線は、直線ではない」と。あちらの私が言わんとしていたのは、ストロークの動きには必ず体幹の捻り動作・・・いわゆる「ローリング」が絡むから、自分がいくら直線的なストロークをイメージしていても、そこにローリングというバイアスがかかれば、直線の軌跡で水をかくのは事実上困難である。直線状にかくのはできる。しかし、それにこだわって泳ぐことが果たしていいことか悪いことかさえも、わからないものである。あちらの私が持っていた、原選手、松本選手、久佳選手、他、ウチのスプリンター勢のストロークパターンを借りて観察しても、何の答えもでなかった。というか、「答えが出なかった」ことが答えとなったのである。このことは、同時にスイマガ2006年1月号であちらの私自身が書いたことを、若干であるが否定するような話とも受けとめられる。しかし、実際に測定したらそうだったのだから仕方がない。そのくらい、実測と体感は符号しにくいものなのであるということの表れであろう。
手の軌跡を意識しきった方々は、多分、手の軌跡を意識する余り、その他のストロークに関する重要なことが視界に入らなくなってしまっているのではないだろうか?・・・そんな気がしていたのだが、その、私の「そんな気」をあちらの私が多分に取り入れてくれているのが、この間「片玉」になりそうになった(笑)原さんの次のDVDである。是非、クロール好きな方は楽しみにしていただきたい。
さて、あちらの私の授業では、昨日ボクが読んだ本の情報も相まって、動きを見るときの「意識」に重点を置いて、授業の講義を3種類構成していた。少し堅苦しい話ではあったものの、3コマとも、学生達も多少は興味を持って受けていたようであったが、果たして・・・。そんな話を思い出しながら、ざっと授業全体の進行や学生の反応を見ていると、あちらの私が書いていた「スポーツ教育にお金をかけることの重要性」がなんとなくわかる。
で、そろそろボクも空腹が意識され始めた。これも意識され始めると気になって仕方がないものである。この時間、とっくに晩飯はないだろうけど、そろそろ帰ることにしよう・・・。
野口先生の文は知的の中にユーモアたっぷりでいつも楽しませていただいています
今日は そんなの関係ねぃ
はなかったですね。