2007年09月20日

イジメられる原因だった体育は、大嫌いだったのである。

某サイトで運動会の話題が持ち上がっていて、半ば義務で(笑)書き込まなければならなかったので、書いてきた。でも説明不足だったので、長くなるが以下に詳細を記す。

今でこそこんな仕事やってるけど、元来の僕は、大の体育嫌いだった。従って、運動会は苦痛で苦痛で仕方がなかった。

一般体育の授業では、よくネタにする話である。

かけっこ・・・遅かった。

ボール・・・怖かった。

球技・・・できないと、チームのみんなからイジメられ、「無視」だの「仲間はずれ」だのは日常茶飯だった。

サッカーやって、ドリブルがうまくいかず敵チームに取られてしまい、イジメられる。その後1週間くらいで仲直りして、また野球やって、相手の打ったフライを落球して、またイジメられて・・・小学校時代はそんなことの繰り返しだった。小学校の校庭から泣きながら帰ったことは数知れない。

だから、運動と言えば、家の隣の塀を使って一人で軟式ボールを投げている時が一番楽しかった。

いろんな特徴のあるピッチャーのフォームを真似して遊んだ。巨人にいた小林投手や、ドラゴンズにいた、島根県出身の三沢投手などは格好のモノマネ相手であった。一人遊びだとバッティングができないのが難点だったが、野球盤でそのストレスを解消していた。これらは誰にも迷惑をかけず、誰の目も気にしなくて良いので、恰好の遊びを伴った運動だった。

唯一、初めてきちんと習ったスポーツ種目は剣道だった。水泳を始めるよりずっと前のことであった。これだけは自分で素振りの練習ができるので、楽しかった。しかし、実際に防具をつけて相手と戦う段階に入ると、腕やわき腹といった防具のない部分に竹刀を食らい、凄く痛くて、最終的には続かなかった。

・・・だから、自分の両親には運動会の日時すら知らせず、もし知れたとしても「絶対に見に来ないでくれ」と言っていたものだった。

水泳を始めても、やっぱり、というか泳げば泳ぐほど、なおさら球技と短距離走は苦手になった。長距離走では若干短距離より順位はいいが、間違いなく好きではなかった。そんな僕に、ちょっとしたチャンスが舞い込んできた。

小学5年の冬の、校内サッカー大会。

ウチのクラスはみんな攻めたがりやで、キーパーをやる奴がいなかった。当時の子供のサッカーなんて、そんなもんだった。必然的に、私がキーパーを指名された。

以後、毎日昼休みになると大急ぎで給食を食べ、校庭の砂場に行き、私の「特訓」と銘打った「イジメ練習」が始まる。みんな好き勝手にシュートを打ち、私がそれを止める役をやるわけである。チャンスとはいえ、やはり最初は苦痛だった。しかし、それに付き合わないとまたイジメられる。既に水泳では県の学童記録も保持していたので、このまま引き下がるのは腹が立つ・・・そう思い、イジメられていることは親に一切言わずに、毎日昼休みの「練習」につきあった。

そういえば、県の記録を樹立してからも、ヒガミ「込み」でイジメにあった。筆記用具などのモノを隠されるなんてのは、当たり前だった。

さて、最初は全然とめられなかったボールも、目を瞑りながら必死に手を出して、少しずつとめられるようになってきた。しかし、ドリブルで至近距離まで来る選手に対しての対応はできなかった。蹴飛ばされそうで怖かったのである。

約2週間、プラトーな状態が続いた。イジメにはすっかり慣れてきたものの、なんとかあれを止めたい・・・そう思っていたある日。

アントニオ猪木とアンドレ・ザ・ジャイアントのタッグだかシングルだかの試合をテレビで見たときに、走ってくるアンドレの両足にスライディングして、足を引っ掛けて倒す。いわゆる猪木流のスライディング・レッグ・シザース・・・「カニばさみ」を見た。「これだ!」と咄嗟に思った。ボールを持ってドリブルしてくる相手に、自分からスライディングして突っ込んでいけば、待ってるよりも多少は防げるのではないか? そう思ったのである。

今まで「怖い」という気持ちしかなかった自分に、沸々と「試してみたい」という不順な意欲がわいてきた。翌日の昼休み。

いつもの連中と「練習」の砂場に出向いた。最初は普通に練習していたが、ドリブルしてきたヤツに対しては、すぐに自分から動いた。「試したい」が「怖い」を超えた瞬間であった。相手は「え?」という顔をしたのを覚えているが、その後は目を瞑ってダッシュして相手に滑り込んだ。ボールよりも膝関節を前方から狙って(笑)。

何かにぶつかったような衝撃を経て、次の瞬間恐る恐る目を開けると、相手は派手に背中を打ち、ボールはサイドのラインを超えて転がっていた。自分の足は多少のアザがあったものの、背中を打って倒れ、脛を抱えて痛がっている相手を見て「よしっ!」と思った。しかし、今度はみんなが「そんな危ないことはよせ!」的な批判を僕にぶつけてきた。こちとらさんざんイジメられてきたので、とりあえず聞くフリはしたものの黙殺し、同じ手でドリブルしてくるヤツは、結果的に全員なぎ倒した(笑)。やればこちらも段々慣れてくるもので、僕の足は的確に相手の脛と膝関節を捉える術を身につけていた。スライディングですりむいた腿が、水泳の練習の際にしみたけど、逆境に立てば燃えてくる性格は、水泳のときもイジメに遭っているときも一緒であった。

そして本番の試合。

孤独感を満喫する(笑)僕以外は、チームワークがよく、下級生との対戦では無難に勝ち上がり、しかも決勝まで無失点で、なんと6年生のチームと優勝を争うこととなった。そこで「キーパーが俺のままで良いか?」が論議になったが、とりあえず無得点で抑えていたので、6年生が相手だし、こいつを使えば自分がイジメられる被害を逃れられるだろう・・・みたいな感じで、起用された。

で、結果的には前半戦の段階で、「カニばさみ的スライディング」でフォワードの6年生を次々になぎ倒した。それ以降、相手は自分たちの攻撃ができなくなったが、さすがに6年生だけあって、こちらの攻撃も通用せず、PK合戦となった。

さすがに「これは野口に任せられないだろう」・・・ということで、本当に上手いサッカー部のヤツがキーパーを買って出て、PK戦を制してしまった。その小学校で、5年生が6年生に勝ったのは初めてだったようだ。

これで、何かまたネタにされてイジメられるだろう・・・そう感じていた。しかし、表彰式を他人事のように見ていたとき、優勝チームのクラス名がアナウンスされると、「お前がもらいに行け!」と、みんなが僕の背中を押してくれた。なんだかよくわからなかったが、その勢いだけで(笑)、ほぼ全員の声を背にして全校生徒の前で表彰状を受け取った。水泳以外のスポーツで表彰され、しかもクラスメートが一緒に喜んでくれた、最初の経験である。これ以降、イジメられる機会は激減し、一緒に遊んでくれる友達も、数人ではあるができた。まぁそれでも、今よりは十分友達が多いのだが(笑)。

だからといって、当時の僕はまだまだ体育嫌いが克服できていたわけではなかった。マット運動、跳び箱・・・やはり苦手だった。球技より「最悪」ではないけど、「中の下」くらいのできであった。いわんや、水泳だって、最初からうまかったわけではない。普段指導されることを日記に書くのは当然として、その他にも必死に入門書や雑誌を読み漁った。試合会場では、一流選手のレースをストップウオッチを持って、ラップを計りながら必死に観察した。それらは、小学校4年の頃からずっとである。1年くらい見ていて、泳ぎには人によって様々な「リズム」があることに気がついた。そんなことを積み重ね「何もないところから、一つ一つ作っていく楽しみ」がスポーツに内在していることを知ったのは、実に水泳を始めて15年後・・・大学を卒業した後のことであった。

「体育やスポーツが楽しい」というのは、おそらく「できるから楽しい」のであろう。稀に私のゴルフみたいに「できなくてもそれなりに楽しい」ものもあるかもしれないが(笑)、普通、うまくできなければ楽しくない。私の運動歴では、生憎「楽しくない思い出」の方が圧倒的に多い。ただ、水泳だけは少しずつ進歩して、ある一定水準以上の競技力を得ることができたので、何とか続けてこれたのだろうと思っている。

こういった体育・スポーツ経験から、卑屈な思い出を持ちつつ今の立場にいると、こんなことを思うのである。

「体育教師やスポーツコーチは、うまくできない子供に、『なんでうまくできないのか?』を伝え、『どういう風に(あるいはどんな感覚で)やれば、うまくいくのか?』を伝える術(あるいは気づかせる術)を、いくつも持たなければならない」

あれから30年経ち、今の僕は水泳の一指導者であると同時に、教員やコーチを育成する立場にも身を置いている。しかし、そんな僕にもこのようなほろ苦く忘れられない思い出があり、それが多分、今の僕が持つ最強のアイテムなのだろうとも思う。



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この記事へのコメント
(サッカーして怒られて謹慎中です)

『カニばさみ』は・・・

立派なファウルですよね(汗)

Posted by 横綱 at 2007年09月20日 23:42
いつも楽しく愛読させていただいています。
が、今日は読みながら涙が出てしまいました。
あの名選手の野口さんでさえこんな涙ぐましい努力をされてたんだと思うと、人事だと思えませんよ。。。。
という私も、大の球技嫌いで体育大嫌いだったのが、なぜか大学で体育専攻でした。人はわかりません。。。。。
Posted by やればできる at 2007年09月21日 09:30
こんにちは!
野口先生ってプロレスとか好きだから、運動大好きっ子なんだと思ってました!私は先生と逆で、他は出来るけど水泳は泣きながらやってましたね・・・(笑)
私もゴルフ好きですよ!カートに乗れる時間はほとんどないですがね・・・(TT)
Posted by やすい at 2007年09月21日 09:45
 私は、野口さんのブログを読む度に、スポーツマンに対しての先入観、偏見がひとつひとつ洗い落とされてていくように思います。いつも野口さんという人間の優しさ暖かさ大きさがユーモアにくるまれて紡ぎ出されているからです。

 中学校で体育教師が担任でした。えこひいきの権化でした。(私はひいきされた方でしたが、それはそれでイヤでした)体育教師はエッチで単純で下品でした。

 高校では、サッカー部の男子中心のグループにいじめられていました。一声かけると全体主義の子分(?)達が右ならえ的にいじめグループに参加していくのを悲しい気持ちで眺めていました。

 大学の体育の先生は紳士で素敵でした。ただその頃の自分は、すっかり体育関係者を嫌悪するようになっていました。でも、そんな人ばかりじゃないんだな、と思うことができます。
Posted by りんりん at 2007年09月21日 12:42
はじめまして。ブログを読ませていただいて感動しました。きっとこういう経験を経て先生のようなかたになれるのですね。ありがとうございますといいたい気分です。
Posted by ゆきだるま at 2007年09月21日 13:19
野口さま

今、大人こそが最も必要とされている『生きる力』を感じました。
いじめは絶対に許すことができません。
また、いじめる人は弱い人間です。

>できなくてもそれなりに楽しい

私の水泳人生、38歳から始まり自分の中では毎日つぼみが少しずつ花開くような過程です。
いつか野口さまの指導を受けることができるよう、日々努力してまいります。(こう思うことだけでも楽しみが増えます)
よろしくお願いします。
Posted by mizumizu at 2007年09月21日 13:55
元オリンピック選手、という肩書きで解説をしたりコメンテーターとしてテレビに出たりする方が世界競泳などにも多く出ていましたが、見ている人たちの気持ちを汲んでいない、マスコミに言わされてる印象をぬぐえない水泳放送に、この夏は少し欲求不満気味でした。野口さんは夏は登板がなく秋田国体からのようですが、夏に大騒ぎした方々と野口さんが大きく違っているのは、野口さんというフィルターの繊細さがあるからこそ、と改めて感じ入りました。
国体の水泳解説が、今からすごく楽しみです
Posted by しんちゃん at 2007年09月21日 16:46
私も運動はドライランドや陸トレからわかるように大の苦手
水泳は大人になってから始めたし・・・・・・

でも先生のおかげで、挑戦することの楽しさをわかることが出来ました!
これからもよろしくお願いいたします!
Posted by ピヨコ(^-^)ノ at 2007年09月22日 01:28
今日のブログを読んでびっくりしました。
野口さんはスポーツ万能だと思っていました。

私は水泳(長距離)は好きですが、短距離はダメ、ましてその他の運動は大の苦手→楽しくない
自分の体や筋肉をイメージ通り動かせないのです情けないですよ。

そして、みなさんのコメントに同感!
そんな体験、努力や工夫をされたからこそ今の野口さんがあるのですね。

国体の解説、楽しみにしています。TVの前で正座です
Posted by 三女 at 2007年09月22日 01:59
まるで,重松ワールドのようなストーリーでほろりときました(こちらの方でも才能を開花されて,ベストセラー作家を目指されては?)

以前からのブログで水泳以外の運動は苦手だったとか幼少の頃にいじめられた経験があるとかという表現が時折,あったので何となくは感じていました。
しかし今の野口さんからは小学生時代にあのような経験をされていたとは想像もできず,ちょっと驚きでした。

Posted by 重松 清ファン at 2007年09月23日 11:03
>皆さま
書き込み&暖かいお言葉の数々、ありがとうございます。
肝に銘じて、これからも頑張ります。
また、くだらないネタにも、めげずにお付き合いくださいませ(笑)。
Posted by noguchi at 2007年09月23日 19:20