昨日の昼。
愚息の塾の迎えに行った後で、当地で昼飯を食った。中華バイキング「大人850円」の看板に引かれ、サザエさんのエンディングの如く、吸い込まれるように家族で店に入った。
「80種類の料理」と書かれていたのに、現場にはご飯とスープも入れて15種類程度であったことに、決してクレームを挙げたりはしなかったが、そこで出ていた五目やきそばを口に入れたとたん、一気に、19年前の学芸大駅近くの和風中華料理「一番」にタイムスリップした。
その店は、私が大学4年のシーズン終了後にアルバイトしていた店であった。私の部屋にいた1年生の柘植ちゃんが、オフにそこでバイトしたことがきっかけで私も知った。実はその当時、寺尾先生たちが行っていた海外スイムキャンプのツアーに、初めて「オーストラリア」バージョンが仲間入りしたのだ。しかも、コーチはラウリー・ローレンス氏。ソウル五輪で、あのビオンディを破ったダンカン・アームストロングをはじめ、数々の一流選手を育てたコーチである。ダンカンは、体型も日本人に近く、私としては同じクロールのスイマーとして何かを掴みたい一心で、迷わずそこへ行きたかったわけである。
行きたかったものの、資金捻出方法にはかなり悩み苦しんでいた。
それは、卒業後にセントラルへの入社を決めるよりもっと前の話。今でこそ、原や柴田、松本と社会人でも頑張るスイマーは身近にいるものの、当時は前例も少なく、大学シーズンが終わったものの、何をどう手をつけて社会人スイマーとして頑張るかは、本当に雲を掴むような話であったのだ。今でこそ笑い話だが、何度も石井先生(当時監督)とも意見が衝突したし、周りは「頑張れ、お前ならできる」と言えども、じゃあ誰かがそういった合宿の資金援助をしてくれるかといえば、決してそういうわけでもない。
かくして、「自力で稼ぐ」方法を選択せざるを得なかったので、この「一番」の字の如し、自分もいつか一番になることを念頭に置き、柘植ちゃんに店長を紹介してもらった。店長はそんな私に対して、履歴書も見ずに、簡単な勤務条件を告げて私を受け入れてくれた。時給750円。朝11時から3時半までと、午後5時半からメンテナンス終了の11時まで。食事は昼、夜の2食をつける。店の品物であれば、好きなだけ食べていい。これ以上好条件はないものと思い、即断で頭を下げた。
慣れない接客であったが、私なりに一生懸命頑張った。店長も、競馬好きのチーフも親切で、いつも笑いが絶えない店であった。五輪予選で敗退し、そのとたん、周囲で声援を上げてくれたひとが一人、また一人と周囲から姿を消していく中で、一時は人間不信にも陥った。それでもインカレではなんとか勝ったものの、卒業後の先が見えない自分に、唯一、灯りを灯してくれた人たちとの思いでは尽きない。私が「人間をもう一度信じてみよう」くらいにどん底だった人格が回復したのは、この店のおかげだと、今でも言い切れる。
結局、12月上旬までに貯めた資金は目標額に届き、めでたく合宿に参加することができた。その合宿ではまた学んだことが数知れずあるのだが、それはまた別の機会に譲るとして、そんなこんなで、私が再び浮上するきっかけを得たわけである。
その当時、店でお客さんが少ないときによく食べたのが、「辛子ごま味噌そば」か「タンメン」のどちらかと、「キムチチャーハン」を単品で、それぞれ大盛り。もしくは、「五目やきそば」と、「天津丼」であった。その五目やきそばの味を、19年ぶりに思い出したのである。
卒業後、遠征などのあとには必ず挨拶に行っていたが、もう随分前に、「和風中華一番」はなくなってしまった。しかし、当時の味を、この味覚音痴な自分がすぐに思い出したのには驚いた。
昨日入った店は、中国の方が調理されている店であるから、当然のことながら「チーフ」は厨房にいないわけであったが、思わず嬉しくなり、やきそばのみ4回もお代わりしてしまった。一口一口かみ締めながら当時を思い出すと、やきそばの味も、ややショッパくなるってものである。