あるある大辞典(仮称)が世間を騒がせている。
あちらの僕も、マスコミのその扱いには大層驚いたようだが、いつもながら至極冷静に、そのことを見極めている。まぁ、事件の起点は彼の言うとおりであろう。
しかし、今日のニュースで納豆が売れ残っているかのような映像が流れていたのには驚いた。多くの「納豆に燃えた日本人」は、一旦自分にメリットがないものと判断すれば、こうも簡単に燃えたものに対して捨てる気持ちになれるのか? 納豆は本当においしい。この機会に、納豆好きになった人もいるのではないかと思うし、そう願う。だって、納豆やそれを製造している人たちには、全く罪はないのだから。
さて、私と納豆の出会いはいつだったであろうか? 私は関西の人間なので、そもそも納豆は嫌いであった。実家では全く食卓に並んだことはなかったし、中国ブロックの合宿でも、納豆は見たことがなかった。今でも実家に帰っても、納豆は食卓には出てこない。生粋の京都人であった母親のせいかもしれない。
大学進学にともない上京して、合宿所の朝食の、数少ないおかずに出た納豆こそが、そもそも、私と納豆の最初の出会いだったように思う。
当時は、本当にあの匂いとネバネバ感がいやだった。同じ部屋の京都出身の小山さん(仮名)も、納豆嫌い派で、納豆が朝食に並ぶと、実家から送られた鯖の味噌煮の缶詰などをおかずにご飯を食べていた。
大学2年になる春。ちょうど今時分だったか。アリゾナのフラッグスタッフの高地トレーニング1期生として、アメリカに遠征した直後、日吉にある日大高校のプールで、日本短水路選手権(現ジャパンオープン)のためのトレーニングを行った。当時、我が大学には室内プールがなく、冬はこの日大高校プールか豊山のプールを借りていたのであるが、この時期は通い合宿であり、朝7時から日吉のプールで練習したあと、午後2時くらいまで、当地の男子更衣室界隈で毛布を引いて休み、テキトーに弁当を買うなりして食事を取り、午後の練習を迎えたものであった。
帰国間もない頃、日本食がやたらと懐かしい気分になり、朝練習終了後に朝食を購入しようと同期の大久保(仮名)と一緒にサンテラス日吉の中を歩いていた。そこで、ショーウインドーの中に燦然と光を放つ、「納豆定食」を見つけたのである。
以前は全くウマソーだなんて思わなかった納豆が、そのときだけは何故か、まるで鉱山の中にあるダイヤモンドの原石のように、私の目を捉えて離さなかった。これは「富士そばのカレーカツ丼」の比ではない。よくこういったときに、「何かが乗り移った」というらしいが、まさしくそのノリで大久保と一緒にその定食屋に入り、私は「納豆定食!」と注文していた。
同じ部屋の大久保は、「あれっ? お前納豆食えたっけ?」と不思議そうな顔をしたが、全く意に介さず、とにかく私は醤油をドボドボかけて(笑)、納豆をご飯にかけて、一気にご飯をかき込んだ。変な感覚だったが、久々のご飯に混ざった納豆の匂いには抵抗感はなく、むしろご飯がどんどん食べられる「おかず力」に驚きつつ、1杯の納豆で普通にご飯をお代わりした。納豆を食えない関西人が、見事にBreak Through した瞬間であった。
以後、納豆卵焼きや、マグロ納豆など、私の納豆好きはどんどんエスカレートした。ついには、小山先輩に対して「卒業までに必ず、先輩の口に納豆を入れて見せます!」と宣言し、「てめぇ、そんなことしたら絶対ぶっ殺す!」と言われるに至った。結局、私のオリンピック出場と同じように、その夢は現実にならなかったのだが・・・。
ひょんなことで、自らの評価が激変してしまった納豆。しかし、納豆には確かに多くの効果、効能があるのは明らかである。今後、納豆には何があっても、自ら目指す道を突き進んで欲しい。今現在の周囲の評価がどうであろうと、君の特性は必ずやまた認められるはずだから。