浩史の墓参りに行ってきた。
19年前の6月。卒業したての頃。
社会人1年生として福岡に遠征し、
その年に東京で行われるPan Pac'sの代表選考会に出る前日のこと。
会場で練習を終えると、学生時代に私の部屋っ子(同じ部屋の後輩)だった若椙が、
「先輩、浩史さん、事故で死んじゃった」
と伝えてきた。
あっけにとられていた私には、それが全くきちんと把握できなかった。
試合が終わって帰京し、翌日、会社を休んで浩史の実家に行った。
そこには、当時ヤツがバイトしていた、
セントラル世田谷の久保木チーフ(当時)もいたし、
同じ試合に出ていた後輩や、葬儀に行けなかった同期たちも、
線香をあげにきていた。
そのときの私にはまだ、彼の死が受け入れられなかったが、
葬儀のときの写真をご家族に見せられたときに、
やっと現実を認識せざるをえないことを知った。
本学水泳部のピンクタオル(結構大きめの、ショッキングピンクのバスタオル)に身を包んで、棺の中で眠っている彼の姿をみて、
とりあえず、
ご両親には、葬儀に行けなかった理由になってしまった大会で勝ったことを報告したが、
それ以上、何も言葉をかけることはできなかった情けない自分がいた。
あれから19年。今年で20年目を迎える。
彼の墓は、キレイに、凛として建っていた。
彼と仲の良い同期の紙屋がいれば、
必ず、浩史の好きだった「ジョージア」の缶コーヒーを墓石に置いて行ったのに、
そのことを行きの電車の中で思い出しながら、
私は缶コーヒーを持っていってやることを忘れてしまった。
まぁ、うらまないでくれ、浩史よ。
みんなそれなりに元気でやっているようだ。
今日の壮行会が雨だったのも、
きっと浩史のいたずらなんだろう?
寒かったもんなぁ。俺らが合宿所のプールで泳いでいた頃。
水温15度切ったら、「ノルマ1500」で終わり・・・なんてこともあったよなぁ。
梅雨あけるまでは20度がいいとこだったもんなぁ。
日中戦だって、18度で戦ってたしなぁ。
いまや、屋内プールもあるし、今年からは外プールにもボイラーがついて、
そんな思いすらしなくてよくなってんだよ。
その合宿所から、3人も五輪選手が出たんだ。
同じ合宿所で苦労してきた人間として、喜んでやってくれよ、浩史。
と同時に、見守ってやってくれよ。
でも、彼らがちゃんと頑張っていなかったら、
いつでも遠慮なく、試練を与えてやってくれよ。
でも、お前は気が優しかったから、
きっとそれはできねぇよなぁ(笑)。

