2007年10月30日

ご新規さま

最近、SAのライフセーバー研究会の人たちの間で流行っている言葉に「ご新規さま」というのがある。

後期が開始して1ヶ月過ぎて、ここまで一度も授業に出られず、ここにきてやっと1回目の出席を果たさんとする学生のことを指す(笑)。で、「ご新規さま一名ご来店でぇす!」「ハイっ! 喜んでぇ!」とSAたちのやり取りが続く。んで「庄屋か!」とか「やる気茶屋か!」などと、私が突っ込むのである。

もちろん、そういった受講生は、多くは部活動の試合、特に、球技系はリーグ戦(=なんで学校やってるときにやるのかは甚だ疑問だが)や、ナショナルチームの長期合宿などで来られなかったという、名誉ある理由を持つ者もいるので、そこは受け入れ側にケース・バイ・ケースでの対応力が求められる。

まぁそんなことは百も承知で、彼らは「ご新規さま」と呼んで、その班の係りの学生に「今日は大変だぞ〜」的な笑いを誘い、面白がっているのである。

他に、「今日は『ゆとり教育』で行く」(笑)などと、指導前に言う者もいる。普段私が結構厳しめに授業を展開するものだから、時折彼らがアクセントを入れるわけだが、「ゆとり教育」の本質とはかけ離れた感があるものの、ネタに出てくるということは、どこかでその言葉が身体知的に意識化されている証拠であろう。

こちらで組んでいる授業カリキュラムや、その指導に入る学生たちへの私たちからの指導は、確かに、彼らにとって好物ばかりではない。しかし、こうやって少しずつではあるけれど、若い人たちが進化していく姿を見るのは、カリキュラムを組んでいる立場からすると嬉しいものである。この感覚は、厳しい練習に耐えた選手が、栄光を味わうのと同じようなものに感じる。

もう少しすると、彼らが実際に学んだ知識や経験が生かされる日が来るので、一つ一つこうやってネタにしながらでもいいから、スポーツ活動でしか知ることのできない知識を、身につけて欲しいものである。若いうちからそういうことを意識化できるようにしておくと・・・40にもなってこんなに苦労しなくても済むのである(自虐)。

  
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2007年10月28日

「人のために」とは何か?

今日は、朝JISSだった。

GUAM合宿を終えたシンクロ・ジャパンの面々は、皆黒かったし速くなっていた。でも、やっぱりきつかったらしい(笑)。これから1月までは、選手たちの私を見る目は冷ややかであろう。

その後、恵比寿の床屋(美容室)に行き、伸び放題(飲み放題みたいな音だが)の私の髪を見て「1970年代みたいな髪型ですね」と担当の島貫さん(仮名)に言われたが、とりあえず名人のハサミ捌きで、2007年まで戻してもらった。

その後、天皇賞でまたもや授業料を払い、夜まで事務所で大学関係の仕事をした。

いろいろと調べている間に気がついたのだが・・・。

多くの大学の「授業評価」って、学生のアンケートを用いているものがあるし、大学のカリキュラム選定なんかにも、「学生のニーズにあった」と銘記されていることが多い。

個人的には、「でも、そんなのかんけーねぇ!」と思う。

我々教員は少なくとも、多くの研究業績を上げたりするなかで、様々な情報をかき集め、これからの学生に必要なものを果実として授業で提供するのが義務である。その果実には、学生が嫌いなものもあれば好きなものもあろう。

しかしながら、今現在、多くの大学のカリキュラムを見るにつけ、どうも「学生の好きなものを、調査して抽出し・・・」みたいな姿勢が際立って見えるのが残念だ。これに関しては、否定できる材料をどんどん仕入れなければなるまい。「ニーズ」と「必要充足」とは似てて異なる。学部から出されている提案(今まさに、我々が苦しんでいるやつ)も、そういう道のりが示されている。

学生たちにとって嫌なものでも、後になって凄く大事なものがある。野菜が食えないスポーツ選手の競技成績に、上げ止まりがくるのと一緒だ。サッカーの中田選手が野菜をバリバリ食べれる選手だったら、多分今頃一人旅なんてしなくて良かったのだろうと思う。彼が野菜を食べれる人だったら、次のワールドカップまで間違いなく現役でいられたし、そうするとまた違う自分の立ち位置が得られたはずであるから。

現役選手や、勉強している学生たちはよく理解して欲しい。嫌いなものを避けている間は、むしろゴールは近づくばかりか逆に遠のくものなのである。

嫌いなことを、いかに面白く見せるかとか、興味を持たせるか?という工夫を、与える側として忘れてはならないことは当然だ。だがしかし、避けられないことを自覚しながら、前向きに向かう気持ちを湧き立たせるような演出や仕組みづくりも大事だ。カリキュラム編成の仕事をやっていると、時折、練習メニューつくるときと同じような感覚に陥ることがあるのだが、それは、そういうことが理由なのだろうと思う。

トレーニングや授業カリキュラムは、「好きなもの」と「必要なもの」は必ずしも一致するわけではない。「嫌いなもの」と「不要なもの」もしかり。

勝ち残れる人は、「嫌いなものでも、『なぜ必要か?』という話を受け入れるキャパを持ち、それらを、いかにおいしくいただく工夫ができるか?」ということに意識が向けられる人だと思う。それをきちんと伝えきり、理解させる力をもつことが、真の意味で「人のため」を思うことなのではないか?と思う。決して選手や学生に対して、「機嫌取り」になることはないのである。それだけの勉強を、我々が抜かりなく行っていれば良いのである。

アントニオ・猪木さんが以前、「客をぶん殴ってでも、こっちの試合に目を向かせるくらいの説得力がなければならない」(要旨)というようなことを仰っていた。

何か、いつもどこでも、俺ってそういう役回りなんだよなぁ・・・(ボヤキ)。

  
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2007年10月27日

笑えない日々

吉田なみに更新が滞ってしまった。

どんな感じかといえば、西村修に出て行かれて、「晴天の霹靂」と落ち込んでいる藤波辰巳の背後からアントニオ猪木が延髄切りを「だぁ〜っ!」とぶつけ、起き上がり際に正面から走ってくるハンセンのラリアートを食らい、倒れたところにたまたまヒクソンが両腕広げて寝てた・・・くらい追い込まれている、藤波状態だ。

今週末なのに、明日も仕事、明後日も仕事、火曜日が「メガトン級」と形容された書類締め切りで水曜はその書類作成のために滞っていた仕事にようやく手をつけ、木曜は学部祭のため休講なのに、火曜に出した草案の見直しと卒論指導で、金曜も休講なのに土曜の水連研修のプレゼン準備(金曜しか取り掛かれない)。土曜は大阪で講師、日曜から水曜までに草案を案に格上げするための書類作成。その翌週も実習体育祭と水連の公認コーチ研修講師で、さらに翌週が水泳・水中運動学会で淳也の発表とシンポ。その翌週が本学体育学科50周年記念式典で、その翌週に平井コーチによる大学院特別講座・・・・・・・。

これに通常授業と次年度時間割作成の仕事、公開講座の原案作成、推薦書書き、空いてる時間にいろんな指導などが加わる。

あぁ、今夜も東京の空には星が見えない。

ってゆーか、台風だし・・・。(しかも、今日の昼まで関東付近に台風が来ていることを知らなかったし)

(文中一部敬称略)

  
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2007年10月22日

速く泳ぐことの彼方で見つけるもの

最近、いつの疲れだかわからないものが身体に乗っかった状態で、日々蓄積されていく仕事をこなしているのでが、その中で、あくまでも必要に駆られてというネガティヴな動機により、「体育・スポーツの意義」についてよく調べ、考える機会が増えている。

現場で一生懸命指導していると、あちらの私が時折「なんでそんなに一生懸命やるん?」と聞いてくることがある。そりゃあんた、そこにいる人方が速くなりたいわけだから、できる限り頭捻って、手助けするんはコーチ(あるいは教員)として当たり前やん・・・と思うのだが、あちらの私は、「で、その速くなった人はその後どうなるの?」と聞く。

それは・・・うー・・・正直、よくわからない。

長年様々な場面で指導したが、確かにその後の私が指導させていただいた方々の行く末は、関知していない。「受け取り方は自由だ」という亀田父ではないが(笑)、私自身もそういう考えがなくはない。ただ、あちらの私にはそれが気に食わないらしい。「速くなるだけでいいの?」と、いつも私に言うわけである。

選手でもマスターズでも、授業に出てくる学生でも、人によっては指導を受けた後に「有難うございましたっ!」と最敬礼していく人もいれば、顎で「ふ〜ん」みたいな感じで通り過ぎる人もいるし、コーチ需要に関しては、人それぞれである。むしろ、それはコーチの立場では、相手方の人生の送り方に委ねるしかないと考えている指導者が、(こちらの)私を含めてかなり多くいる。コーチ間でよく話題になる「あいつには言っても仕方ない」とか「あの子はそういう育ち方をしてきたから」というのは、その代表語であろう。

しかし、どんな対象者であれ、我々が指導した結果よい方向に導かなくてはならない(そう決め付ける必要はないのかもしれないが)のは、スポーツ・コーチングの常識だが、でもそれだけが我々の担っている仕事か?と思うと、決してそんなことはない・・・ことはなんとなくわかる。

では、その着地点は一体何処にあるのだろうか?「技術」「体力」を高めるために得た「エピステーネ(科学知)」「テクネー(身体知)」に裏打ちされたトレーニングプログラム。またはそれらを学ぶ手段としての「学問」「遊戯」・・・これら全てに関わっているはずのスポーツ・コーチングの果てにあるのは、一体何だろうか?

貴重なご意見集

 

 

 

 

 

 

フリスタ事務所に届いた、ジュニアキャンプのアンケート。中にはアンケート以外にもお礼の手紙などを送ってくださった父兄や選手もいらした。本当に有難いことだし、スタッフが準備段階から懸命に努力している成果であろう。多くの子供さんが、キャンプ後にベストを更新したという話だけでなく、子供の精神面の変化を記してくださる内容もあった。こういうのを見ると、確かにコーチ冥利には尽きるだろう。

でも、それだけでいいのか?という疑問もまた、私の頭には漁火のように、浮かんでは消えを繰り返す。

大学院時代、浅見先生から言われたことで今も引っかかっている言葉がある。

「科学は、人の生活を豊かにするためのものだ」

我々がスポーツ・コーチングや授業の指導により、一般スイマーや選手や、授業の受講者にもたらすものは、決してテクニックの上達や体力の変化だけではないはずである。では、スポーツの何が一体、人の生活を豊かにするのだろう。

少なくとも、そんなことを本気で考えている私は、現在、スポーツによって上がりようのないドツボに嵌っているのは確かだ(自虐)。来月末まで、こんなことで悩む日々が続く。

  
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2007年10月18日

木原先輩、お疲れさまでした。

木原光知子先輩が亡くなられた。昼の学科研究室会議の時に携帯メールが鳴り、訃報を知らされた。

実は先週、倒れられた後に情報が入っていたのだが、こんなに早くお亡くなりになられるとは思わなかったので、かなり驚いた。

先輩との直接的なつながりと言えば、私が本学の専任になる前だったろうか。ウーマンズの泳法研究会に講師として招かれ、私が空気を読めない生真面目な指導をしていたときに、「んもぉ、しょうがないわねぇ」みたいな感じで横から入ってこられ、一気にお客さんを持っていかれた(虜にさせた)こと。それからワールド・スイム・フォー・マラリアのお手伝いをさせていただいたときにその事務局に木原先輩が多大な協力をされていたことを耳にしたことくらいだったが、実は私が小学校時代に最も影響を受けたのが、木原先輩の著書「どんどん泳げる」であった。

 

私の学生時代。碑文谷の合宿所の食堂のホワイトボードには、毎年夏になると「OGの木原様より、スイカの差し入れがありました(当番)」の字が躍った。当時80名超の部員がいた合宿所に大量のスイカの差し入れが届いた日の当番は、「OG」を「OB」と書き間違えると、集合がかかったものだった。

我々後輩たちにとっては、近くで直接何か指導されるのではなく、遠くからいつも見守ってくださっている、そんな「姉御肌」な先輩であった。

 

先日、秋田国体のときに古橋名誉教授に少しだけ相談ごとがあり、会場のすぐ外で話し込んでいたときに、木原先輩が近くを通りかかったので、挨拶をさせていただいたら、古橋先生が「おお、紹介するよ。ウチの大学で僕の後で頑張ってくれてる野口・・」と私を紹介してくださった。木原先輩は多分、そんな以前のウーマンズのことなど忘れてらっしゃるだろうから、私も初対面のごとく改めて自分の名刺を出すと、木原先輩も水連の名刺を出して丁寧に挨拶してくださった。確かに言われてみれば、多少お疲れ顔だったようにも思えるのだが、その直後にウーマンズがあったわけで、さぞお疲れのことだったのではないか?と思う。

アスリートは厳しい鍛錬を課すわけで確かに寿命は保証できないのかもしれない。しかし、私はそれ以上に、これまでの道のりで得たストレスたるや、並大抵のものではなかったのではないかと思う。

今でこそ、五輪選手たちが水泳番組中心にテレビに出るようになったが、木原先輩は水泳やスポーツ関連以外の番組でも、ちゃんと一タレントとして「ピン」で成功されていたことが、根本的に今の選手OG達と異なる。今の彼女らでさえも大変な思いをして頑張っているのだが、当時の社会でのジェンダーの考え方などからすると、今と比べ物にならないくらい多くの障壁があったのではないかと思う。

それでも、木原先輩が、ご自身を育ててくれた水泳を忘れず、プールをもたれ指導もされつつ、水泳から離れたところで芸能活動を両立されたことを顧みると、水泳のないところで水泳を知らない人たちに「木原光知子」をアピールし、次にそういう方々をプールに引っ張ってくることで水泳の虜にする・・・そうやって、新しい水泳人口を増やしていったことがわかる。でも、そういったことがわからない人たちからは、表に出る芸能活動的なところしか見えないから、いろいろな僻みや妬みも受けたのではないかと思う。

しかし、そういったことに耐えての仕事ぶりは、まさしく背中で我々に「水泳を広め続ける姿勢」を示してくださっているようにも思えて仕方がないし、20代後半から解説者をして、時にいろんなことを言われてき私にとっても、先輩の存在は本当に勇気をいただける光であったのだ。

先輩が講演などの際に語られていた言葉に「水泳は、なんでも水に流してくれる」という語りがあったようだが、先輩の死は、簡単に水に流せそうにない。しかし、その筋肉質な後姿を思い出しつつ、「お疲れ様でした、ごゆっくりお休みください」と、無礼な後輩の一人として述べておきたい。

合掌。

  
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2007年10月17日

巣鴨

今日こそ、チーム平井練習日記で有名な、東京スイミングセンターに行ってきた。

しかし、午前中に締め切りのある仕事を2つこなしていたので、アポの時間がびみょーに遅れそうな気配が漂った。

PCを前に奮闘している矢先に、電話が鳴った。

「あぁ〜、もしもし!」

え? 平井先生じゃん。

「あ、今日何時だった・・・あ、ごめん・・・」

受話器越しになんだか水しぶきっぽい音が聞こえる。東スイのコーチ室かなぁ・・・。

「あ、それで・・・え、ちょ、ちょっと待って」

うん? なんだ?

3秒前ぇ、よーい、ハイッ!

れ、練習中やん!

「ごめんごめん。で、今日何時って言ってたっけ?」

時間を確認して電話を切った。練習中にふと思い出して、よっぽど慌ててたのかもしれない。先生に対して忙しい中でのお願い事、本当に申し訳なく思った。

で、なんとか私自身も2個の締め切りをこなして、移動し始めるころ、こりゃ間に合わないかもしれない・・・という時間になってしまったので、動きながら電話した。

「はいはい。こっちも今ちょうどJISSから移動して、昼飯食おうとしてるところだからぁ・・・こっちも少し遅れます」

それを聞いて私も一安心していると、

「だから、できるだけ遅れてきてください!

と、力強く説得された。喜んで了解しつつ、巣鴨駅前のラーメン屋さんでこってり系の塩ラーメンを食った。

東スイは、一昨夜の悪夢で見た東スイとは異なり普段の東スイのままで、秘密プールもなく、なんだか安心した。また、先生のお話はやはり大変参考になる話で、高地トレーニングを一度でも経験したコーチや、これからやろうとしているコーチ・選手、さらには北島選手の強化過程を取材したいマスコミ関係者にとっても、必見のシンポとなりそうだ。ちょっと都心からは遠いけど、是非とも聞きに来ていただきたいと思う。

  
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2007年10月16日

秘密プール

チーム平井練習日記で有名な、平井先生のいらっしゃる東京スイミングセンターに行った。

来月に行われる、日本水泳水中運動学会+日本水泳科学研究会で私がオーガナイズ&司会をするシンポジウム「高地トレーニング最高(再考)」の取材および、11月末に行う予定の、本学大学院特別講義(これもなぜか私が司会役)の打ち合わせのためである。

ビデオカメラと三脚片手に、いつものカバン担いで、コーチ室に行った。

先生は新しいMacをかまいながら「よぉっ!」と、まずは挨拶。

世間話もほどほどに、「んじゃ、こっちに来てよ」と先生に案内される。

いつもの練習プールにでも行くのかなぁ・・・とついて行く。昔短水路があった通路を通り、「あぁ〜、懐かしいなぁ」などと思いつつ歩を進めると、先生はさらに非常階段っぽいドアを開け、階段を降りる。「あれっ? こんなところに階段なんてあったっけ?」と思いながら、平井先生の後姿を見失わないようについていく。

かなり深くまで降りただろうか。「一体どこに連れて行かれるのか?」と思いながらひたすら階段を下ると、ようやくドアが。先生はそのドアを空けると、「どうぞどうぞ」と私を招き入れた。

ドアの中では・・・長水路4コースの屋内プールが。「ゲッ、こんなの隠してたんか!」と驚く私を尻目に、そのプールの管理室へ導く平井コーチ。

「ここのスイッチで、この部屋の酸素濃度が調節できて、こっちからの通路をまっすぐ行くとプールの側面がガラス張りになっていて・・・」

ただただ驚く私を尻目に、どんどんと説明する平井コーチ。

その案内のまま歩くと、確かに、そのプールは水深が3mくらいで、プール側面がガラス張りになっていて、選手たちが泳いでいる姿が一目瞭然である。ガラス越しに見えるプールの中には、ペースメーカーのランプも各レーンに埋め込まれており、しかも移動式カメラのレールまで敷いてある。

と、とんでもない施設を作ったもんだ、東スイは・・・。

ただ驚愕する私に、平井コーチがまた声をかける。

「あと野口さぁ、こっち、こっち見てよ」

え? と思って振り返ると、プールに繋がっている水道管か何かのパイプが、額にガツーンと・・・。「いてぇっ!」

・・・気がつくと真っ暗闇の中、目の前にあるのは愛娘の足。膝がしっかりとまっすぐ伸びた状態で、どうやら娘の踵が私の額を的確に打ち抜いたようだ。

い、痛ぁ・・・夢か・・・。

そんな深夜2時過ぎの出来事から、今日は朝までほとんど寝られなかった。その上今日は1限から3コマもプールで、更にそのあと学科の命運を握る大事な会議を私が仕切ることになっていた。当然のことながら会議では頭はうまく回らず、重要な案件が相次いだことも手伝い、仕切りの悪さが目立ちかなりの長時間を要してしまった。

あぁ、今日も東京の夜空には星が見えない・・・。

  
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2007年10月15日

傷跡は語る

「クイズ500のこと」は爆笑もんだった。これは是非フリースタイルの忘年会でも導入すべきだ!と思った。誰の「500のこと」をやるかは、未定。原や鈴木じゃないことは確かだ(笑)。いや、むしろこのブログでリクエストしよう。

その後の「うるぐす」は土曜の続きだったが、小林氏の話で泣けてきた。「周りから今でも『あの(ときの)こと(〈空白の一日〉によって巨人から阪神へトレードされたこと)』を聞かれるけど、自分では一切忘れるつもりでやってきた。だけど、(阪神で)いくら頑張っても、結局ことあるごとに『あのこと』に(話題が)戻るんだ」

本音では、絶対に一生忘れることはないのは解っているんだけど、頑張れば頑張るほど、振っ切ろうと思っても切れない自分の存在もわかってしまう。

一生忘れることのない心の傷を持つ人たちは、傷跡が残らないくらいに多くの成果を挙げる。しかし、その過程では、ふとしたことで当時の傷跡を「見せろ」といわれたり、更には傷跡をえぐられるような目にあったりもする。ボクなんかでさえ、やはり3度チャレンジして1度も五輪に行けなかったことや、指導者になりたての頃、一度もインカレで総合優勝できなかっただけでなく3位転落までさせてしまったことなどは、その傷にあたるものかも知れない。これとて、記憶の悪いボクでさえ一生忘れることはできない思い出で、いつか癒える日が来るのかな・・・と思っていても、その日はどんなに頑張ろうと、どんなに成果を挙げようと、なかなかやって来ない。しかし、その日が何で来ないのか?を、この対談を聞いて悟った気がした。

「でも、キミ(江川氏)もそうだったんだろ? それを乗り越えて来たわけじゃない」

対談相手の江川氏もまた、当時は「悪役」となり、記者からも「いじめ」とも取れるような質問を貰うことが多々あったという。その度に批判に耐えてきた。しかし、引退会見の際に、「小林さんに謝らなければならない」と言っていたのが印象的であったくらい、江川氏もまた悩み、苦しんだ末に大投手となった。

二人が共に引退が早かったことは、そんな心の傷との闘いが、選手寿命を縮めた可能性を示唆するものと思われる。しかし、二人とも「自分の思ったような球が投げられなくなった」ことが引退を決めた要因であるという。同じような心の傷を持つ大投手同士、大いに共感する部分があったというか、この二人にしか共感できない感情があったのだろう。江川氏が、その後番組の仕切りに入るまでにしばらくの間、その目に涙を溜めていた表情が印象的であった。

・・・そんなことを考えながら、今日は電車で寝てしまった。起きてすぐに目的地に到着し、ぼーっとしながら階段を降りているときに、突然左足首に痛みが走り、3段程度だが派手に転倒した。ついでに、カバンの中の電子辞書の液晶にも亀裂が入った。

同時に、ボクの水泳指導者としての寿命も、そう長くはないだろうなぁ・・・と思った。

  
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2007年10月14日

クイズ、500のこと

久々の休みなのに、朝から憂鬱だった。

亀田選手対内藤選手の一戦を語る、朝のワイドショー出演者。「あんなプロレスまがいの・・・」という話も出た。

でもね。亀田選手のタックルがプロレス的であったとしても、プロレスの世界では通用しないタックルだったわけで、あれを「プロレス的」と言われると、プロレスラーに対して失礼である。レスラーはタックルひとつとっても、ものすごく練習しているし、試合でそれをきれいに決められないと、悔しい思いをするわけである。でもそんなやり取りを聞いてると、世間はやはり、プロレスに対して偏見があるのだろうな・・・と思う。昔、一生懸命「プロレスに市民権を」なんて頑張ってた前田日明氏が、気の毒になる。「プロレスがスポーツかどうかということはさておいて」というコメンテーターもいたが、これは「スポーツの定義」を勉強していない証拠であって、そういう不勉強な方々がコメンテーターとして電波に乗っている現状も、一層憂いを招く。

その後、住んでいるマンションの管理組合理事会。定例だけど、今日は年に一度の、自転車置き場の移動日だったので、全体的に拘束時間は長かった。

結果的に、これで貴重なオフの午前中がすべて終わってしまった。

午後は少しだけのんびりさせてもらったが、大枚を叩いた馬券は外れるし、愛娘の宿題は難航するし、ロクなことがなかった。ウオッカではいまだにいい思いをさせてもらえないけど、そのおかげで競馬の奥深さが、さらにわかってきた。投資額は「立ち直れないほど」だが、仕方ない。いずれにしても、「牝馬」は難しい。

以上がオフの一日。やっぱ、僕の場合は働いていても休みであっても、憂鬱なのはそう変わらないことが、はっきりわかった。

夜になって、NHKスポーツニュースを見ると、セ・リーグのクライマックス・シリーズは巨人対中日となったようだ。こうなると、わが部のコーチング・スタッフの中にいる、G党とドラ・キチの人間関係に亀裂が生じる。あぁ、阪神。何やってんだ! また憂鬱のネタが増える?

せめて、「ガキの使い」を見て、いい日曜だったと、思えるようにしたい。今日は「クイズ、山崎あやの500のこと」。これは楽しそうだ。

こうやって、明日からまた新しい週が始まるのである。

  
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空白の一日

日テレで、江川卓さんと小林繁さんの対談が始まった。

面白すぎる。

空白の一日」のときのエピソードを語っている。

濃すぎる。

28年前の話なわけだが、これは8時台の番組でも使えそうな対談だ。

ちょっとはまってしまった。

あの事件の後に、あるレストランで偶然会った二人。その際に江川さんがお詫びかたがた挨拶しようとしたときの、小林さんは「いいよいいよ」と、手で合図をしたという。

「今となっては、もう風化したことだから、別になんとも思っていない。当時は、自分が予想していた一番嫌な状況(阪神へトレード)になった。試合での直接対決もやりたくなかった」(小林さん発言要旨)

28年経って、初めて触れられることもある。スポーツの世界だけではないのかもしれないが、トップアスリートだからこそ、今(現役時代に)触れられない話なんてのは、どんな競技者にでもあるのだろう。

江川さんと小林さんの対談は、行間にそんな様々な感情が入り混じるような、非常に考える「間」があり、放送上言いたくても言えないことがいまだにあるのかもしれないというのがわかる。しかし、それは直接わからなくても、聞く立場の我々がいろいろと想像することが大事なのである。スポーツの世界だけではないのだろうけど、トップを極めんとしている人たちの世界は、答えがいつでもきちんと整数で出るものではない。割り切れなかったり、記号に変えたりしながら、出るはずのない答えを探す世界なのである。

どんな世界でも、「今伝えられる情報」もあれば、「今伝えられない情報」もある。いくらマスコミが「知る権利」を振りかざそうとも、当事者にはそれを伝える義務もあれば、「内緒にする権利」も有することを、やマスコミや情報を受ける側は忘れてはならない。特にあまりにも様々な影響を与えるような話の露出には、慎重になる必要がある。情報を出す(あるいは加工する)側は、「1+1=2」のようにそれらを分かりやすく出そうとするが、実際にはそんな生易しいものなど、少なくともスポーツの強化現場ではひとつもない。だからこそ、情報を受ける側としては、少なくとも好きなものについては「見続ける」ことが大事なのである。

「想像」は、人間が唯一この世で許された娯楽である。明日もこの放送の続きがあるようなので、楽しみにしたい。

で、もうひとつの想像は、ウオッカの単勝。連はいろいろ考えさせられるが、日大なので4枠7番「ピンク」カメオを拾おうと考えている(笑)。7月に支払った多額の授業料の回収なるか?

  
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