某サイトで運動会の話題が持ち上がっていて、半ば義務で(笑)書き込まなければならなかったので、書いてきた。でも説明不足だったので、長くなるが以下に詳細を記す。
今でこそこんな仕事やってるけど、元来の僕は、大の体育嫌いだった。従って、運動会は苦痛で苦痛で仕方がなかった。
一般体育の授業では、よくネタにする話である。
かけっこ・・・遅かった。
ボール・・・怖かった。
球技・・・できないと、チームのみんなからイジメられ、「無視」だの「仲間はずれ」だのは日常茶飯だった。
サッカーやって、ドリブルがうまくいかず敵チームに取られてしまい、イジメられる。その後1週間くらいで仲直りして、また野球やって、相手の打ったフライを落球して、またイジメられて・・・小学校時代はそんなことの繰り返しだった。小学校の校庭から泣きながら帰ったことは数知れない。
だから、運動と言えば、家の隣の塀を使って一人で軟式ボールを投げている時が一番楽しかった。
いろんな特徴のあるピッチャーのフォームを真似して遊んだ。巨人にいた小林投手や、ドラゴンズにいた、島根県出身の三沢投手などは格好のモノマネ相手であった。一人遊びだとバッティングができないのが難点だったが、野球盤でそのストレスを解消していた。これらは誰にも迷惑をかけず、誰の目も気にしなくて良いので、恰好の遊びを伴った運動だった。
唯一、初めてきちんと習ったスポーツ種目は剣道だった。水泳を始めるよりずっと前のことであった。これだけは自分で素振りの練習ができるので、楽しかった。しかし、実際に防具をつけて相手と戦う段階に入ると、腕やわき腹といった防具のない部分に竹刀を食らい、凄く痛くて、最終的には続かなかった。
・・・だから、自分の両親には運動会の日時すら知らせず、もし知れたとしても「絶対に見に来ないでくれ」と言っていたものだった。
水泳を始めても、やっぱり、というか泳げば泳ぐほど、なおさら球技と短距離走は苦手になった。長距離走では若干短距離より順位はいいが、間違いなく好きではなかった。そんな僕に、ちょっとしたチャンスが舞い込んできた。
小学5年の冬の、校内サッカー大会。
ウチのクラスはみんな攻めたがりやで、キーパーをやる奴がいなかった。当時の子供のサッカーなんて、そんなもんだった。必然的に、私がキーパーを指名された。
以後、毎日昼休みになると大急ぎで給食を食べ、校庭の砂場に行き、私の「特訓」と銘打った「イジメ練習」が始まる。みんな好き勝手にシュートを打ち、私がそれを止める役をやるわけである。チャンスとはいえ、やはり最初は苦痛だった。しかし、それに付き合わないとまたイジメられる。既に水泳では県の学童記録も保持していたので、このまま引き下がるのは腹が立つ・・・そう思い、イジメられていることは親に一切言わずに、毎日昼休みの「練習」につきあった。
そういえば、県の記録を樹立してからも、ヒガミ「込み」でイジメにあった。筆記用具などのモノを隠されるなんてのは、当たり前だった。
さて、最初は全然とめられなかったボールも、目を瞑りながら必死に手を出して、少しずつとめられるようになってきた。しかし、ドリブルで至近距離まで来る選手に対しての対応はできなかった。蹴飛ばされそうで怖かったのである。
約2週間、プラトーな状態が続いた。イジメにはすっかり慣れてきたものの、なんとかあれを止めたい・・・そう思っていたある日。
アントニオ猪木とアンドレ・ザ・ジャイアントのタッグだかシングルだかの試合をテレビで見たときに、走ってくるアンドレの両足にスライディングして、足を引っ掛けて倒す。いわゆる猪木流のスライディング・レッグ・シザース・・・「カニばさみ」を見た。「これだ!」と咄嗟に思った。ボールを持ってドリブルしてくる相手に、自分からスライディングして突っ込んでいけば、待ってるよりも多少は防げるのではないか? そう思ったのである。
今まで「怖い」という気持ちしかなかった自分に、沸々と「試してみたい」という不順な意欲がわいてきた。翌日の昼休み。
いつもの連中と「練習」の砂場に出向いた。最初は普通に練習していたが、ドリブルしてきたヤツに対しては、すぐに自分から動いた。「試したい」が「怖い」を超えた瞬間であった。相手は「え?」という顔をしたのを覚えているが、その後は目を瞑ってダッシュして相手に滑り込んだ。ボールよりも膝関節を前方から狙って(笑)。
何かにぶつかったような衝撃を経て、次の瞬間恐る恐る目を開けると、相手は派手に背中を打ち、ボールはサイドのラインを超えて転がっていた。自分の足は多少のアザがあったものの、背中を打って倒れ、脛を抱えて痛がっている相手を見て「よしっ!」と思った。しかし、今度はみんなが「そんな危ないことはよせ!」的な批判を僕にぶつけてきた。こちとらさんざんイジメられてきたので、とりあえず聞くフリはしたものの黙殺し、同じ手でドリブルしてくるヤツは、結果的に全員なぎ倒した(笑)。やればこちらも段々慣れてくるもので、僕の足は的確に相手の脛と膝関節を捉える術を身につけていた。スライディングですりむいた腿が、水泳の練習の際にしみたけど、逆境に立てば燃えてくる性格は、水泳のときもイジメに遭っているときも一緒であった。
そして本番の試合。
孤独感を満喫する(笑)僕以外は、チームワークがよく、下級生との対戦では無難に勝ち上がり、しかも決勝まで無失点で、なんと6年生のチームと優勝を争うこととなった。そこで「キーパーが俺のままで良いか?」が論議になったが、とりあえず無得点で抑えていたので、6年生が相手だし、こいつを使えば自分がイジメられる被害を逃れられるだろう・・・みたいな感じで、起用された。
で、結果的には前半戦の段階で、「カニばさみ的スライディング」でフォワードの6年生を次々になぎ倒した。それ以降、相手は自分たちの攻撃ができなくなったが、さすがに6年生だけあって、こちらの攻撃も通用せず、PK合戦となった。
さすがに「これは野口に任せられないだろう」・・・ということで、本当に上手いサッカー部のヤツがキーパーを買って出て、PK戦を制してしまった。その小学校で、5年生が6年生に勝ったのは初めてだったようだ。
これで、何かまたネタにされてイジメられるだろう・・・そう感じていた。しかし、表彰式を他人事のように見ていたとき、優勝チームのクラス名がアナウンスされると、「お前がもらいに行け!」と、みんなが僕の背中を押してくれた。なんだかよくわからなかったが、その勢いだけで(笑)、ほぼ全員の声を背にして全校生徒の前で表彰状を受け取った。水泳以外のスポーツで表彰され、しかもクラスメートが一緒に喜んでくれた、最初の経験である。これ以降、イジメられる機会は激減し、一緒に遊んでくれる友達も、数人ではあるができた。まぁそれでも、今よりは十分友達が多いのだが(笑)。
だからといって、当時の僕はまだまだ体育嫌いが克服できていたわけではなかった。マット運動、跳び箱・・・やはり苦手だった。球技より「最悪」ではないけど、「中の下」くらいのできであった。いわんや、水泳だって、最初からうまかったわけではない。普段指導されることを日記に書くのは当然として、その他にも必死に入門書や雑誌を読み漁った。試合会場では、一流選手のレースをストップウオッチを持って、ラップを計りながら必死に観察した。それらは、小学校4年の頃からずっとである。1年くらい見ていて、泳ぎには人によって様々な「リズム」があることに気がついた。そんなことを積み重ね「何もないところから、一つ一つ作っていく楽しみ」がスポーツに内在していることを知ったのは、実に水泳を始めて15年後・・・大学を卒業した後のことであった。
「体育やスポーツが楽しい」というのは、おそらく「できるから楽しい」のであろう。稀に私のゴルフみたいに「できなくてもそれなりに楽しい」ものもあるかもしれないが(笑)、普通、うまくできなければ楽しくない。私の運動歴では、生憎「楽しくない思い出」の方が圧倒的に多い。ただ、水泳だけは少しずつ進歩して、ある一定水準以上の競技力を得ることができたので、何とか続けてこれたのだろうと思っている。
こういった体育・スポーツ経験から、卑屈な思い出を持ちつつ今の立場にいると、こんなことを思うのである。
「体育教師やスポーツコーチは、うまくできない子供に、『なんでうまくできないのか?』を伝え、『どういう風に(あるいはどんな感覚で)やれば、うまくいくのか?』を伝える術(あるいは気づかせる術)を、いくつも持たなければならない」
あれから30年経ち、今の僕は水泳の一指導者であると同時に、教員やコーチを育成する立場にも身を置いている。しかし、そんな僕にもこのようなほろ苦く忘れられない思い出があり、それが多分、今の僕が持つ最強のアイテムなのだろうとも思う。